ジェームズ・メイの「リアセンブラ The Reassembler」の第二弾が製作決定したらしい。あの「ジェームズがひたすら古い機械を修理するだけ」の番組が!
ジェームズ本人すら「この番組をまだ見ている人がいるとは思えない」と言っていたくらい、どこ需要なのか不明な(もちろん我々のような視聴者の需要はある)番組だったが、まさか続編が出るなんて。
BBCの懐の深さよ。
さて、ようやく「The Wire」を最終回まで見た。
例によって序盤はゆっくりペース、話が動きだしてからはノンストップで見てしまった。
いろいろとまさかの展開もあったが、結局は「The Wire」らしい最終回だったと言えようか。
これは事件が「解決」してハッピーエンドになるような物語ではない。それはここまでつきあってきた視聴者ならわかっていたはず。だがしかし……。
以下ネタバレ感想。
市長の苦労
S4で市長になったリトルフィンガーもといトミー・カルケティ。
もともとエイダン・ギレン目当てでドラマを見始めたのだから、市長になった後も注目していたのだが。
トミーの力をもってしても市政というものはぐだぐだになるのか。
「盛られたクソを次々と食べる」ことによって、半ば理想をあきらめてしまったような顔のS5トミーは悲しい。
彼はいわゆる「汚職政治家」というわけではないし(今のところは)、市民のことも考えている。しかしそれでもうまくいかない。「クリーン」であることはそんなにも難しいのか。きっとそうなのだろう。
結局彼も教育委員会の提出した実態とはかけ離れた数字に喜んでいるし、警察には犯罪件数を少なめに報告するよう圧力をかけている。
理想を実現させるためには「偉い立場」にあり続ける必要があるのはわかる。しかしそれに振り回される立場の人たちには、「彼もこれまでの政治家とかわらない」と思われても仕方ない。
S5のトミーは「悪役」ではないが、「クリーンな政治家」でもなかった。
一線を超えてしまったマクノルティ
これまでにもクズエピソードには事欠かないマクノルティであったが、S5の彼は明らかに一線を超えてしまった。
S3のハムステルダムについては賛否両論の反応だったのではないかと思われるが、S5のマクノルティの行動には抵抗を覚えた人が多かったのではないだろうか。
かく言うわたしの感覚としても「これはアウト」である。
しかし実際、彼が行動を起こしてから物語に一気に緊張感が生まれ、面白くなった。
5-1を見返してみると、冒頭の引用セリフは「大きな嘘ほど 人は信じる(The bigger the lie, the more they believe.)――バンク」である。
英語の文法書に載せたいような文章だが、最初にバンクがマクノルティの前でこのセリフを言う(そして実際に大きな嘘によって犯人から自白を引き出す)のはうまくできている。
S5は最初から最後まで、嘘の物語だった。
間違えてはいけないのは、マクノルティの嘘は決して「小さな嘘を重ねるうちに話が大きくなった」というよくある話ではない。
彼の嘘は最初から、あのバンクがドン引きするくらいの重大な嘘だった。
S4でわたしの中での株が上がっていたマクノルティの評価がうなぎ下がりである。
彼がこの嘘をどうたたむつもりなのかわたしはずっと心配していたのだが、「どうせ解決されないんだし、そのうちみんな忘れるでしょ」というくらいの考えだったことがわかり、そこはもう少しがんばれよ! とも思った。
この件を知ったかつての仲間の反応は、それぞれ違って面白い。
・バンク
ドン引き。マクノルティを止める。
しかし無理に止めたり上司に告発したりまではしない。
マクノルティに反発するかのように「真っ当な方法」で事件解決に至る。
が、結局詰めのところでマクノルティの予算に頼った。
・レスター
ノリノリでのっかる。
しかし事件のたたみ方についてはやはり考えていなかった模様。
・キーマ
殺人課の良心。
彼女がダニエルズに報告することによって嘘が発覚。
・ダニエルズ
激おこ。
この件とは直接関係ないが、結局自分自身も辞職することに。
警察組織の良心だったのに……。
嘘のたたみ方
嘘をつくのは簡単ではない。細部まで矛盾なく話を作らなければならず、非常に精密な思考力と強靭な精神力が求められる。レスターならともかく、マクノルティにはもともと無理な話ではないだろうか。
しかもどこかでそれをたたまなくてはならないとなると、余計に難しい。
マクノルティが最初に事件をでっちあげたとき、着地点は三つ予想された。
- 嘘がばれて関係者一同職を失う
- 警察内では嘘がばれるが公にはならない
- ばれずに事件解決して終わり
1. では長編ドラマの最終回としてはあまりにもバッドエンド、3. だとS4までの内容に比べて安易すぎる。
よって2. が落としどころかなあとは思った。というかそうするしかない。
しかし結局エピローグでは、マクノルティもレスターも警察をやめているようだ。
キーマとの関係がさわやかに終わってくれたことは救いだった。
もやもや
このドラマは視聴者をすっきりさせるために作られたものではない。
むしろ視聴者の中にもやもやを残すことで問題提起したいのだろう……とは、S1の感想で書いたことだ。
ここまでずっとその姿勢でつくってきたドラマが、ラストシーズンで何もかも解決してハッピーエンドになるとは誰も思ってなかったはず。
しかしディアンジェロやソボトカ、ストリンガーらの死はきちんと裁かれないままだし、マルロは釈放されるし、悪徳弁護士はのさばったままだし、トミーはちゃっかり知事になってるし、子供たちは救われずギャングか麻薬中毒になる連鎖は残ったままだし、なんかあの記者はピュリッツァー賞をとってるし、オマール無双も終わってしまったし。
町の問題はほぼ解決していない。
そんな幻想は許されないとでもいうかのように。
物語の中で救いを感じたのは、ネイモンドとバブルスが更生できたことくらいだ。
特にS5のバブルスは癒し枠だった。
S4までの彼は「本物の浮浪者を連れてきたのではないか」と思わせるくらいあやしさ満点の風貌だったのに、終盤の彼の見た目のまともさよ…。
救いの道は確かに用意されている。だがそれと出会える人ばかりではないし、出会えたとしてもそこから脱落してしまう人もいる(たとえばドゥーカンとか)。
これが「リアル」ということだろうか。
S1のオープニングテーマを流しながら振り返る「それぞれの今後」でさらにもやもやさせられたわけだが、これが製作者の意図したところなのだろう。
「リアル」だと評価されてきたドラマを「嘘の物語」で終わらせるのは、皮肉がきいているともいえる。
しばらくはこのもやもやをがっつりひきずらせてもらいたい。