今日はちょっと趣向を変えて、数年前に見た「面白かったもの」のことを書いてみようと思う。
タイトル通り、ドイツのギムナジウム(日本でいうと中学~高校くらいの年齢の子供が通う、基本的には大学進学を前提とした学校)での演劇の授業の話。
教育関係者や演劇関係者だけではなく、割といろいろな人にとって面白い話ではないかと思い、またわたしにとっても書き残しておきたい面白い話なので、ここで公開してみることにした。
なおわたしは演劇に関しては完全に素人のため、あまり専門的な話は期待しないように。
視点
最初にわたしがどの視点から授業を見ていたかを説明しておくと、「見学」ポジションである。わたしはドイツのとある都市部の学校で日本語のTAとして活動したことがある。
ドイツのギムナジウムでの日本語の扱いは、学校によっても違うが第二外国語だったり第四外国語(!)だったり課外活動扱いだったり、ともかく毎日みっちりやるという科目ではない(そもそも日本語を選択できる学校自体がそこそこ珍しいと思われる)。
そのためわたしには大量の「空きコマ」があった。その間ぼーっとしているのもつまらないし、せっかく来ているのだからと、日本語担当の先生にお願いしてほかの授業を見学させてもらうことにしたわけである。
日本語担当の先生は英語と演劇の授業も担当されており(ドイツでは教員は複数の専門分野を持つのが普通。幅広い視野と教養が求められる教員という職業においては、日本でもこのやり方は見習ってほしいものだと思っている)、わたしは主にこの二つの授業を見学した。
とはいえ「演劇」という場において完全な第三者などというポジションはありえない。舞台を鑑賞する者は、鑑賞という形で場と役者に影響を与えている。
また基礎練習に一緒に参加したり、欠席した子の代役で投入されたりと、実際にいろいろと参加する機会もあった。
教室とクラスの人数
1クラスの人数は大体20人前後。これは英語のクラスも同じくらいだった。
ちなみに演劇は芸術の選択科目の一つである。わたしのいた学校では音楽、美術、演劇から一つを選ぶ形になっていた。わたしの出身高校(日本)の芸術科目では音楽、美術、書道から一つを選んだものだったが、この書道がドイツだと演劇になる感じだ。
演劇の授業は基本的に実技がずっと続く。座学もあるのかもしれないが、わたしが訪れていたときにはなかった。広めの音楽室(むしろ小さめの体育館と言った方がイメージしやすいかも。机はなく、いすだけが隅に寄せてあり、部屋の一辺がステージになっている)のような教室を使う。
授業の際は、運動靴など歩きやすい靴で参加する決まりがあった。トウシューズで来ている子もいた。普段から髪をアップにしていて抜群に姿勢がいい子だったので、バレエをやっているのだろう。ちなみにその子は女の子で身長が180cm近く、ものすごい美人だった。クラスの中ではあまりしゃべらないのだが、舞台に立つと俄然輝いていた。あんな子が現実にいるのかと思ったものである。
授業の流れ
毎回の授業の流れはこうだ。
基礎練習(約10分)
→本日の課題発表
→グループ(毎回変わる)に分かれて打ち合わせ(約10分)
→みんなの前で順番に発表(約10分)
→互いに感想・講評を言いあう(約10分)
グループに分かれたり移動したりする時間も含めて、全部で50分授業。日によって時間配分が違うこともあるが、大体こんな感じだ。
基礎練習
前置きが長くなったが本題に入ろう。
授業の最初に10分くらい基礎練習をする。
まずはみんなで丸くなって柔軟体操。首、手首、足首を回したり、ジャンプして体をほぐしたり。
それから円をつくった状態のまま簡単なゲームをする。わたしは演劇の基礎練習といえば発声練習でもするのかと思っていたが、この学校では基礎練習で声を出さないことが多かった(もちろん先生が説明したり、笑い声が起こったりはする)。
たとえばまず先生が誰かと目を合わせ、その人に向けてポンと手を叩く。声は出さずに、視線と手の動き、手を叩く音によって「次はあなたよ」と合図を出すのだ。次に「指名」された人は同じようにほかの誰かに目を合わせ、手を叩く。全員が2回くらいずつ「指名」されるまでこれが続く。
手を叩く仕草もなく、視線+頷きだけでこれを続けることもあった。これは難しい。
それからマイムの練習。
まずは各自が自由なテンポで教室内を歩き回る。そこに先生が指示を出す。
「重いものを抱えているように」
「嬉しい知らせを聞いたばかりのように」
「試験の結果が悪かった日の帰り道のように」
などなど。すると生徒たちは指示に従って歩き方を変え、表情も変え、仕草も変える。
あるいは各自が自由に教室内を歩き回り、そこに先生が手を叩いて合図をする。
合図とともに生徒たちは動きをぴたりと止める。その際何やら変わったポーズを決める。ポーズはそれぞれ自由だが、日常生活の中ではとらないポーズをとることになっているようだ。片足でうまく静止する子もいれば、両手を床についたポーズをとる子もいた。
「鏡」の練習もあった(二人組になって片方がポーズや表情を作り、もう片方がそれを真似する)。いきなり全身の鏡になるのではなく、まずは表情だけ、上半身だけ、下半身だけの練習をして、それから全身の練習をしていた。
いずれも演劇経験者ならやったことがある練習かもしれないが、わたしにとっては何もかも初めてのことで新鮮だった。
本日の課題・うちあわせ・発表
基礎練習が終わると、先生から本日のテーマと課題が発表される。基本的には日替わりだが、数回かけて行われるテーマもある。
日替わりメニューの例
- 二人一組になり、声を使わず体の動きだけであるキーワードを表現する
キーワードは「幸運」「病気」「情熱」「権力」など。
10分くらいの打ち合わせの後、2~3分の一場面を動きだけで表現する演技を順番に披露する。キーワードはグループごとに別々に与えられ、互いのテーマが何なのかはわからない。見ている生徒たちは演技を見て、そのテーマを当てることになる。
ちなみにドイツの学校では授業中どれだけ発言したかという点が成績に大きくかかわる(座学でもペーパーテストと授業中の発言得点の比率が同じだという)ため、生徒たちの反応はどの授業でも早押しクイズ状態である。
みんななかなか上手いもので、全グループとも正解された。
ちなみに「幸運」グループの演技が印象に残っているのでここに書いてみる。
男子生徒が紙を両手で持ち、女子生徒の方をじっと見つめている。女子生徒は男子生徒の方を見ずにすっと前に出て、メモを片手に単語を一つずつ読み上げる仕草。単語が一つ読まれる(実際には声は出さない)たびに男子はガッツポーズをとったり驚いた顔になったり、興奮を高めていく。最後の単語が読まれると同時に男子は飛び上がり、舞台の上を跳ね回って喜びを表現。
→宝くじの当せん番号発表と、宝くじに当たった人のシーンで「幸運」を表現した
- 五人一組になり、与えられたテーマに沿って一場面を演じる
これはセリフありの短い一場面であるテーマを表現する課題。わたしが覚えているテーマは「驚き」。この授業では全員のテーマが共通で、出てくる表現の違いを互いに見せ合うのがポイントになっていた。
五人にそれぞれ出番のある流れを用意しなければならないため、打ち合わせ時間は少し長めにとられた。そのため一度の授業では半分しか発表できず、続きは次の授業に持ち越された。
見た中でわかりやすく面白かったのは、事故にあって死んだと思われた人が突然息を吹き返してまわりがびっくりする話。死体役、医者役、助手役、家族+友人役で五人。ほとんどセリフがなくマイムや嘆きの声で表現されていたが、逆に感情の動きがとてもわかりやすかった。
数時間かけて行われるメニュー例
ある学年(中学二年生くらい)では、台本を自分たちで用意して演じる授業が行われていた。↑で書いたのと似ており、クラス全体に共通のテーマが与えられ、それを表現するのに必要な役を用意し、台本を書いて練習し、発表するという流れだ。
わたしが参加したときのテーマは「身分の差」だった。このときは1グループが6~7人程度。実際に台本を書くのは宿題になり、次の授業までに提出された台本のコピーを先生が用意して全員に配ってくれた。
ちなみにこのとき一人欠席者がいたため、わたしは代役で放り込まれた。台本を渡されたのはいいが、中学生のぐちゃぐちゃの筆記体+いろいろ間違ってる文法+方言全開の発音の前に立たされ、かつてないほど「もっと幅広いドイツ語を勉強しておけばよかった」と思った。
わたし「今どこ…?(;・∀・)」
隣の子「あなたのセリフよ (´∀`)」
なんてことも…(すみませんでした 凹○)
このグループでは、高級な服屋に立派な身なりの人たちと貧相な身なりの人たちが訪れるというシチュエーションを演じた。店員は立派な身なりの人の相手をするが、貧相な身なりの人たちのことは相手にしない。立派な身なりの人たちは貧相な身なりの人のことを「場にふさわしくない」と馬鹿にする。しかし貧相な身なりの人が札束を出すと、店員は途端に態度を変えて接客を始める。様子を見ていた別の客が「身分の差とは何で決まるのだろうか」と疑問を口にして、舞台は終わる。
短い一場面ではあるが、衣装も小道具もない状態でこの様子を表現するにはそれなりに演技力が求められる。先生も上手いテーマを与えるものである。
こんな感じで、先生の与えるテーマはほとんどが抽象的なものだった。
わたしなどは、キーワードを聞いてもまずどんなシチュエーションならそれを表現できるか考えるのに時間がかかりそうだ。ところが中学生くらいの年齢の子たちが、あっという間に打ち合わせを終えて練習に入るのである。これには驚かされた。日ごろからの積み重ねもあるのだろうが、思考の瞬発力がとんでもない。
またこの学校は都市部にあり、生徒の人種もさまざまである(田舎だとまた事情が違うと思われる)。ラテン系の子もトルコ系の子もフランスからの転校生も、共通語であるドイツ語を使ってわあわあと意見を交わす様子は、見ているだけで刺激的だ。
講評タイム
授業の最後は講評タイム。
先生はあまり講評を口にしない(特に上の学年では)。講評は生徒同士で行うものである。「もっとこういう点を工夫すると良くなるよ」ということを先生が言うことはある。
講評も発言ポイントを稼ぐ場なので、やはり早押しクイズ状態でいろいろな意見が出る。どのグループの表現がよかったか、わかりやすかったか、自分のグループに付け足すとしたらどんな工夫か、AグループとBグループの違いのポイントは、みたいな話がポンポン出てくる。
まとめ
「演劇の授業」で高得点をとるには、演技力が高いだけではだめである。グループワークの際の貢献度や講評における発言も、先生はしっかり評価している。
また「演技力」というよりは、総合的な「表現力」をのばそうという教育方針に見える(このへんは担当の先生によっても違いがあるかもしれない)。
非言語コミュニケーションによる情報伝達課題なんて「表現力」を目いっぱい発揮しなければならない。テーマに沿って考えをめぐらせ、グループで相談するのにも「表現力」が問われるし、ほかのグループの演技を見て感想を言語化するのに必要なのも「表現力」だ。
この点は、同じ学校の英語の授業を見ていても感じられた。また機会があればそっちについても書くかもしれない。
授業を通していろいろと考えさせられるものがあったし、何よりも毎回生徒たちが工夫をこらしたパフォーマンスを見るのが楽しくて仕方なかった。あのとき上の学年だった子たちはもう大学生になる頃だ。学んだことを活かして人生を楽しんでもらいたいと思っている。
さて、本日のお話はここまで。長々と読んでくれた方にとって何か一つでも参考になるものがあれば幸いである。