グッドニュース!
ブログのアクセス数が100万をこえたぞ!
世の中にはこんなにも他人の感想をわざわざ検索して読みたいと思っている人がいるのだということを、ブログを始めてつくづく感じた。最初は誰も読まないだろうと思いながら書いていたものだが、ここのところ毎日たくさんの方に訪れていただいて感謝しきりである。
何か記念記事でも書こうかとも思ったのだが、扱う話題が多岐にわたりすぎて(カテゴリ一覧を見てもらえばわかるが、とっちらかりすぎである)収拾がつかないのでいさぎよく何もしないことにした。
というわけで今日は普通に見た映画の感想!
「ファンタスティックビーストと黒い魔法使いの誕生」、初日に見て参った。
実は前作を上映中にうまくタイミングが合わず、見たのはつい先日のことだった。そのためストーリー的には前作からスムーズに入っていくことができた。が、だからといってショックが少ないわけではもちろんない。いろんなことが起こりすぎて(情報量多すぎでしょこの映画……)、シアター前のベンチで呆然としてしばらく立ち上がれなかった。
ちなみにわたしは「トップギア」にゲスト出演したマイケル・ガンボンに興味を持ったところから「ハリー・ポッター」シリーズ(ガンボンはダンブルドア役)を履修し原作にまで手を出した勢なわけだが、この時点でこの先に書くあれこれを【お察しください】。
以下はネタバレ全開になるため、必ず視聴後にご覧ください。
テセウスとニュート
どの話題からいけばいいのか……。
まずはスキャマンダー兄弟からいこうか。
ニュートは確かにテセウスのことを大事に思っていて、彼の力になりたくてハグしたのだろうけど、「テセウスのことが大事だからハグする」というよりは「テセウスはハグが好きだから、相手の習性に合わせてハグという方法をとった」みたいなふうに読み取れるのがほんとニュートーーー!!
人間視点だとそれは「まわりくどい」愛情表現のように見えるけど、ニュートにとってはどんな相手に対しても等しく対応しているということなわけで。
博愛……ニュートにとってはどんな相手だってファンタスティックビースト……。
サラマンダー
コワルスキーさんに「一般的な人間の習性(女性相手にサラマンダーとか言ったらあかん)」と教わったニュートがちゃんとそれを守ろうとしているのが微笑ましいし、心が通じ合っているティナの言葉に泣いた。つらい場面ばかりの今作で、ほっとできる場面をありがとう……。
ティナ、ちゃんとニュートの著作を読んでいるみたいだし。これからは早とちりしたらだめだよ!
リタの "I love you" について
英語では二人称代名詞は単複同形なんだよ……。もうそれでいいじゃないか……。
考えるのがつらすぎる。あんな演出、そりゃ考えるまでもないと言われればそのとおりなのだけど。
クリーデンスくん……というかアウレリウスくん
たぶん今作最大のスポイラー。
え……アルバスの弟ってアバーフォースじゃなかったっけ……? あれ? あれ? あう? あうれりうす?
劇場でこんな感じになっていたのはわたしだけではないはずだ。
さて彼は本当にアルバスと血がつながっているのかどうか。
ガチ勢の考察もあれこれ読んだが、やっぱり両親の亡くなった年齢と合わないと思われる。クリーデンスくんの公式年齢は知らないのだが、オブスキュラスを出せるのは子供だけという設定がある以上、やはりまだ10代なのではなかろうか。アルバスと年が離れすぎである。
しかし不死鳥が姿を現したのも事実なわけで(グリンデルヴァルトなら幻くらいは出せそうな気もするが、ここでは考慮しないものとする)。
だとしたら何がどうなって彼は誕生したのか……。何らかの魔法ぱわーで生まれてしまった? それとも時間移動してる? そもそもどうして彼はあのタイミングでアメリカに向かってたの? あとどうしてグリンデルヴァルトは彼の素性を知ってたの? 彼の出生か何かの秘密にグリンデルヴァルト自身が絡んでいたりする?
疑問は増えるばかりである。
グリンデルヴァルトは彼を対ダンブルドア用の兵器扱いしそうな雰囲気だが、クリーデンスくん(もう何と呼べばいいのか)、年齢を重ねたらオブスキュラスを出せなくなってしまうのでは? いやグリンデルヴァルトが杖をプレゼントしていたし、彼が師となってクリーデンスくんの力を安定させる方向に導くのか。
彼に関してはまだ何が何やらな感じなので、続編を待つしかない。
グリンデルヴァルトとダンブルドア……というかゲラートとアルバス
なんちゅうもんをつくってくれたんや……。ほんと……。
ジョニー・デップと? ジュード・ロウが? 愛憎の矢印を向けまくりで?
なんかもう、この二人がこの役をやれる年齢を待ってこの物語を作ったのではないかと思えるほどの豪華な、そして完璧な配役で、映画館でこの二人が映るたびに美しい……と溜息をつくしかなかった。あとなんだよ二人ともあの衣装……。布の光沢といい質感といい、とんでもないフェチズムを感じる。
なお当ブログでは Grindelwald を彼の出身地リスペクトで「グリンデルヴァルト」とドイツ語読みしている。というか、英語読みなら「グリンデルワルド」、ドイツ語読みなら「グリンデルヴァルト」になるはずで、「グリンデルバルド」とどっちつかずな字幕はおかしいと思うんだ。英語読みかドイツ語読みかどっちかに統一してほしい。ここでもフォルクスワーゲン現象かよ。
(追記)
2回目の鑑賞で確認、ダンブルドアとテセウスの上司トラヴァースとリタは「グリンデルヴァルト」とドイツ語読みしていた!(ほかにもいたかも?)
特にダンブルドアについては、ジュード・ロウご本人が「彼はかつてグリンデルヴァルトととても親密な関係だったから読み方を知ってると思ってそう呼んだ」「彼に『グリンデルヴァルトと呼んでくれるかな?』と言われたのかも」と語っている。
www.youtube.com3分50秒くらいから。
グリンデルヴァルトのものまねをするジュード・ロウ、何度見ても面白い。
(追記ここまで)
さて血の誓いをたてる二人を見てぶっ倒れそうになったわけだが、彼らは当時も今も想い合っているのだろうか。
ゲラートは最初からアルバスを利用するつもりで、彼が敵になることを恐れて「争わない」ための誓いを立てたのではないかという説も目にした。
でもわたしは、ゲラートもまたアルバスに対して恋心に近い執着を抱いているように思う。もしかしたら出会ったばかりの頃は利用してやるつもりもあったかもしれないが、誓いを立てたときの気持ちは本物だったと思うのだ。
周囲に同レベルの者がいないまま育ち、同じように不遇な環境におかれた孤独な天才同士が出会い、同じもの(死の秘宝)を求めて研究し、互いを初めてにして唯一の理解者と認め合うことになったとしたら、好意を持たずにいられようか。離れたくない、手放したくないと思ってしまうのが自然な感情ではないだろうか。
それにあの演説のシーン(扇動者にして「指揮者」なシーンがかっこよすぎである)で口にした「愛」という言葉。直接的にはクイニーに向けた言葉だったのだろうが、わたしはあれはやはり「ゲラート」から「アルバス」に向けた言葉でもあると感じた。
きっと革命を志した頃の二人にとって大事な目的のひとつであり、今のダンブルドアを動揺させる意図でもあるのだろう。
だって彼ら二人の「愛」も、きっと当時の魔法界(たぶん1920年代においてもまだ)では違法だったと思うのだ。マグルとの恋愛が違法であることはクイニーたちから語られたが、同性愛も同様だったのではないだろうか。少なくとも当時のイングランドのマグル界ではそうだった。
自分たちの「愛」を認めない法律、自分たちを守ってくれない法律、そういう法に何の疑問も抱かず従っている民衆、この奇跡のような出会いと感情を堂々と口にできない世の中なんて、みんなクソだと思えたのではなかろうか。そして自分たちならそんな世の中を変えられると思ってしまったのではないだろうか。だから彼らは革命を求めた。
もちろんゲラートの動機の根底にはマグルへの差別感情+未来視があり、アルバスの根底には妹のアリアナを傷つけ両親を失うことになったマグルへの恨みと恐怖があったはず。それはもちろん知っているのだが、それに加えてそういう動機があったのではないかと、わたしはあの演説を聞きながら感じた。
血の誓いの石について
で、もし石を壊せないまま何年もたった場合、それならいったい何がきっかけで石を壊すと決意することになるのか。
このへんもいろいろ想像をめぐらせると楽しい。
やっぱりグリンデルヴァルトはダンブルドアに会いたくて、でも自分からは会いに行けないから、相手が自分から会いに来るシチュエーションを作りたかったような気がしてならない。
石を壊すでもなく捨てるでもなくずっと持っていたのはどういうことなのか説明してくれ~ゲラート~! アルバスが壊せるのならきみにだって壊せそうなものじゃないか。
ゲラートはアルバスを恨んでいるだろうか。同じ道を志しながら決裂してしまったことを?(「別れた」のはゲラートが逃げたからだしなあ)だからアルバスを殺したい? そのためにクリーデンスくんを利用しようとしている?
なんとなくだが、それよりはやっぱりもう一度会って仲間に引き入れたいのではないかな~という気が……これはわたしの目が曇ってるせいでそう思ってしまうのか……もうよくわからない……。
「自分らしくある」ということ
これは「ファンタスティックビースト」シリーズのテーマのひとつであるようだ。
ありのままの自分とは? 本当の自分とは?
ひと昔前にはやったようなフレーズだが、これに対して今作はいろいろなアプローチをしている。
自分らしくあるために革命を求めたゲラート・グリンデルヴァルト。
後悔と反省から自分らしさ(権力への執着)を捨てたアルバス・ダンブルドア。
そもそも自分とは何かという問いのために「黒い魔法使い」になったアウレリウス・ダンブルドア。
そして彼らの織り成すストーリーの中心にいるのは、どんな生き物に対しても「ファンタスティック・ビースト」としてありのまま敬意を持って受け入れるニュート・スキャマンダー。
登場人物の立ち位置を整理すると、どうして彼が主人公なのか、どうして彼が主人公でなければならなかったのかが見えてくる。とても美しい構図だ。
クイニーとジェイコブ
わたしはね……前作を見てコワルスキーさんのことがいちばん好きだったんですよ……。あのラストで泣いたんですよ……。今作でも彼が再登場すると聞いて嬉しかったんですよ……。
予告が不穏だと騒がれていたときも、コワルスキーさんはきっと安全圏だと思ってのんきに構えてたんですよ……。
それが、それが……あんな……。シアターの前でへたりこんでしまうのも仕方ないでしょ……。
もうクイニーとコワルスキーさんが結ばれるのは無理じゃない? 一度あちらに行ってしまった人が救われるのは無理じゃない?
クイニーとコワルスキーさんはゲラートとアルバスの再現・縮図じゃない?
コワルスキーさんは愛のために「自分らしさ」を抑えることもできる人(クイニーと無理に結婚しようとしない&最初は「クレイジー」という言葉を言わなかった)。
クイニーは自分の愛のために相手の「自分らしさ」を捻じ曲げてしまった人だから、ある意味ゲラートよりもたちが悪いぞ!
彼女が相手の心を読む力を持ってしまったから、というのもこうなった一因だと思うが、そこのところも未来視の力を持ってしまったゲラートとかぶるんだよな……。
考えれば考えるほどつらくなってくるので自傷行為はここまでだ!!
はぁ……もういっぺん見に行こ……。