おそらくこれから怒涛の終盤になるであろう、その幕開けとなる第7話。
よし、全方位丸くおさまったな!!!!!(棒)
という話であった。
もう眠いので前置きはここまでだ。
以下、ネタバレ感想。
結婚式と葬式の対比
6話が1話と対比的に出産を描いたのと同じように、7話の葬式は5話のグリーンウェディングと対比的に作られていた。
言葉ではなく視線の交わし方、混じり合い方で人間模様を描くあの手法が再び濃厚に使われている。絶対にながら見はさせないという製作者の強い意思を感じる。セリフのないシーンで少しでも目を離したら大事な情報を見落としてしまう。ただし肝心な部分が暗すぎて見えないと全世界から悲鳴があがっているが(わたしはノートPCで見ており画面が暗くなるとモニタについた埃しか見えないので、いそいそと画面を拭った)。
視線でじっくりと緊張関係を描きだした後に、メインとなる対立軸とは少し離れたところで爆発が起こるのも5話と同じ。今回はそれが子供たちの間で起きた。
パワーバランスはあれでいいのか
今回、ヴェラリオン側のドラゴンが一匹(一頭?)ターガリエン側(というかアリセント側?)のものになったが、ヴェラリオン家的にはそれでいいのだろうか。今回はそこがいちばん気になった。
ドラゴンは大量破壊兵器であり、どの家が何匹所有しているかは家同士のパワーバランス、軍事力に直結しているはず。盗んだドラゴンで走りだす、とかいうノリで許されていいのか。大量破壊兵器を簡単に手放してしまってよかったのかな。ドラゴンが主人を認めた以上、再変更は難しいものなのかもしれないけども。
それからレーナーのドラゴンはどうなるんだろう? ドラゴンが主人を追いかけていったらレーナーの生存がバレないか? 「追いかけてきたらダメだよ」と事前に言い聞かせておいたのか?
レーナーのドラゴンがウェスタロスに留まるのなら、誰が継ぐことになるのだろうか。そのドラゴンをヴェラリオン側に渡せば丸くおさまるかな?
エイゴンの火の玉ストレート
「見ればわかるやんけ!!」
というド直球をエイゴンが口にしたときは「よく言った!」と拍手したのだが、そんな火の玉ストレート発言にも負けないヴィセーリスの耄碌ぶりよ。いや盲目ぶりというべきか。
しかしレイニラの子供たちは本当にかわいそうだ。
レーナの死を素直に悲しむことができるレーナの娘たちと、ハーウィンの死を悼むことも許されないレイニラの子供たちの残酷な対比よ。あの子たちは母親を失って泣けるのに、なぜ自分たちは父親の死を嘆くこともできないの? と思うのが普通ではないか。
ついでに言うと、レイニラとデイモンが純度100%ターガリエンの、見た目的にもまったく疑いの余地のない子供をつくったら、あの子たちはどうなってしまうんだろう。夫婦的にも世論的にも、どう見てもターガリエンでない今いる子たちはじゃまにならないか? さらに言うと、デイモンとレーナの子たちまでじゃまにならないか?
そうなったとき、彼らは今回レーナーにとったのと同じ方法は使えるのか? さすがにそれは無理じゃない? という心配が先に立って、あとあの婚姻の儀は感染症の危険が恐ろしすぎて、とてもふたりの結婚を祝えない。
いや、やっとおさまるべきところにおさまったというのはわかるのだが。ずっとヴァリリア語でふたりだけの世界をつくってきていたからなあ。
アリセントの戦う顔
今回やっとアリセントの戦う顔が見られて本当に嬉しい。
彼女は、自分と子供たちの命の危険を感じている。レイニラが戴冠すれば自分も子供たちも殺されるという可能性は、歴史を紐解くまでもなく現実的である。何しろ玉座をめぐる問題で最初に裏切ったのはレイニラの方だ。
また自分の夫であり子供たちの父親であるヴィセーリスは、自分の味方にはなってくれない。それどころかむしろレイニラの肩を持つ。そこにきて子供の目が傷つけられるときた。そこまできてやっと彼女のスイッチが入った。
しかしアリセントはすぐに反省している。このやり方はよくなかったと。
またアリセントはオットーとの会話の中でレイニラをかばおうとすらした。それをオットーが遮った。「あれが彼女の本性だ」と。
あの描写とその後の表情から察するに、アリセントはまだレイニラを憎みきれていない。「好きだからこそ許せない」感じか。一方オットーはレイニラのことを完全に「排除すべき敵」だと考えている。
しかしともかく、この方法では勝てない。
今回アリセントはそれを学んだ。
もっとうまくやらなければ、自分も子供たちも守れない。
万魔殿レッドキープでこの先生きのこるには、うまい立ち回りが必要だ。
オットーは全面的にアリセントの味方である。オットーにとってアリセントは自分が生き残るための道具だとしても、である。アリセントも自分が父親の道具だということはわかっていて、しかし現時点では父親を頼るしかないこともわかっている。だからこそオットーを王の手に戻すようヴィセーリスを説得した(と、前回の描写から察せられる)。
今回彼女が学んだのは、ラリスの能力の重要さだ。
人知れず、誰にも疑われず脅威を排除する能力。
自称「中立な判断ができる」能力。
ともに場違いなところで咲いてしまった花同士。
「能力と思慮深さを備えた友が必要だ」という彼女の言葉は、「お前の能力が必要だ。しかし勝手なことをされては困る。自分が主導権を握っておきたいからおとなしく指示を待て」という意味だろう。
前回の感想の繰り返しになるが、わたしは武力・暴力的な意味での強さを持たない普通の女性が成長し自立し、当たり前に自分の選択をできるようになる描写が好みである。だからドラゴンという暴力装置を持つレイニラよりも、暴力装置も継承権も「持たざる者」であるアリセントがどのような成長の軌跡を描くのかが気になっている。
チームグリーンの今後の活躍にご期待ください!!!! である。
王の小指
今週の王の小指コーナーがこんなに続くとは思ってなかったよ!!!!
毎週毎週「まだ生きてる!?」という驚きをもたらしてくれるヴィセーリスだが、このペースでいくと来週には肩から先を失い、再来週には上半身がなくなるかもしれないが、その前に死ぬのではないだろうか。
黒髪と金髪「ハウスオブザドラゴン」1-6感想 - なぜ面白いのか
こう書いたのが先週のことである。
先週は肘から先がなくなっているようだったが、今週は肘より上がなくなっていた。まだ肩は残っているようだが、ほぼ袖がペラペラ状態。死ぬ前にどこまでなくなるか、王の左腕から目が離せない。
しかし10年のタイムジャンプでヴィセーリスがあんなに老けたのに、レイニラの見た目もだいぶ変わったのに、デイモンだけ変化がなさすぎなのはなんでなんだぜ。「あのときのレイニラは子供だったから……」どころの話じゃないんだよ、なんでお前だけ年をとらんのじゃい!
うん、まあ、余命の違いかな……(火の玉ストレート)。