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息子には息子オアアアア!!「ハウスオブザドラゴン」2-1感想

https://x.com/HouseofDragon/status/1802079884749189587

待ちに待った「ハウスオブザドラゴン」S2が来た!

いや1話目から本当に映像が豪華ね。予算規模がすごい。

そしてS1の最後がアレだっただけに最初からクライマックス。緊張感が凄まじい。

どの陣営も同じくらい「正しくなさ」と「感情移入ポイント」が用意されている、そのバランス感覚がすごい。

あとはとにかく互いの視線が交わらない。逆に交わるときは、誰と誰がどのタイミングで視線を交わらせるかまで完璧にディレクションされている。

前置きはこれくらいにして、以下ネタバレ感想!

初回記事はこちらから。

ssayu.hatenablog.com

 

 

自分のポジション

今日初めてこのブログに来た方のために最初にことわっておくと、わたしはターガリエン的な価値観に対しては非常に危険だと身構えている。

ドラゴンの武力を前提とした彼らの苛烈で恫喝的な態度は、現代社会に生きる者として受け入れてはいけないというのが大前提だ。

それを美しい外見で覆い隠して「英雄的」に見せるやり方は、ゲームオブスローンズ時代からとてもうまく視聴者を最終話まで誘導した。

当然ゲームオブスローンズ最終話をふまえた上でハウスオブザドラゴンを視聴する人が多いにもかかわらず、しかしやはりターガリエン的な「英雄」は多くのファンを魅了する。この道が滅び以外には続いていないことを知っていて、なお。

その大衆心理は興味深いが、恐ろしい。

ターガリエン的な「強く美しい英雄」が現代社会に現れたら、やはり大衆はそれを支持するのだろうとわたしは思っている。たとえその英雄が、「敵」に対して平然と核のスイッチを押す人だとしても。

 

一方でわたしは持たざる者が力をつけることによって自我を獲得し、自分の主張をできるようになっていく描写は好きだ。

ゲームオブスローンズではピーター・ベイリッシュが一押しだったし(まあこれは単にわたし好みど真ん中のヴィランだったからだが)、サンサも好きだった。

同じ意味でアリセントも好きだ。強いられたセックスによって力を得て、徐々に自分の主張をするようになる彼女を、デナーリスと比べたこともある。

そんなわけでわたしはどちらかというとチーム・グリーンである。

 

しかしこのドラマ、本当にどちらの陣営も「正しくない」ことが実に丁寧に描かれていて、どちらの陣営にも肩入れしたくなさがすごい。

しかしどちらの陣営にも感情移入したくなる部分がある。

特に今回、息子を失ったレイニラの悲しみの表現に息を呑んだ。今回、レイニラのセリフって本当に少なかったよね。I want Aemond Targaryen. の一言じゃなかった? あとは全部、表情で表現されていた。

エマ・ダーシーすごいな。一瞬一瞬の表情が、怒れる王であり、嘆く母親であり、先行きに不安を抱える少女のようにもなる。ふと目を伏せたときの顔なんて10代の女の子のようにすら見える。

一方のアリセントも万魔殿レッドキープで長年孤独に揉まれながら、強さとしたたかさを身につけていて、猛烈に応援したい。

しかし同時に、アリセントはレイニラとの決定的な対立をなんとかして避けたがっている。もうどちらかがどちらかを完膚なきまでに叩きのめす形でしか終われないと、彼女もわかっているだろうに。

今更レイニラにルークのことを手紙で謝ろうが、ルークを心から弔おうが、それは変わらないのに。それでもそれをせずにはいられないのが、アリセントのキャラクターなのだ。ヴィセーリスを慰め、最後まで介護し寄り添い、ただひとりヴィセーリスの死を心から悼んだ彼女のキャラクターだ。彼女をこの作品の良心と呼ぶのはだいぶ憚られるが、それでも他者の痛みに共感し寄り添う力を持ったキャラクターは、作中で彼女だけのように思える。だからこそ彼女に感情移入してしまう。

オットー・ハイタワーはアリセントの、レイニラとの対立を避けたいという本心をわかっている。そこに苛立ちを感じている。自分を含むチーム・グリーンがこの先生き残るには、チーム・ブラック皆殺しルートしかないと、彼にはわかっているから。

アリセントとオットーの対面シーン、よかったなあ。すごい緊張感。交わらない視線が交わり、そして「もはや勝利は力(はっきり violence と言っていた)でつかみとるしかない」と言われた瞬間にアリセントが目をそらす。アリセントは I know it. と応えたけれど、あの様子だとまだはっきり覚悟ができていない。

アリセントの望みはレイニラを跪かせることであり、彼女を殺すことではない。オットーはアリセントの様子からそれを、つまりふたりの「目的」が「一致」しないことを読み取り、彼女から視線をはずすのであった。

いや何回見返してもここのシーンの情報量すげーな。いやどのシーンも情報量過多なんだけど、特に。

 

 

子供を失う「ターガリエン」といえば

今回ルークの葬儀に参列する子供たちを見ながら「さ~て次に失うのはどの子かな~?」とかいう不謹慎極まりない(このドラマを見ているといつもそうなる)発言をしてしまったわけだが、この発言で、今のレイニラはゲームオブスローンズ終盤のデナーリスと重なるなと気づいた。

デナーリスにとってのドラゴンは、失った子供のかわりである。卵から孵し、幼竜の頃から一緒に旅してきた子供だ。彼女はその「子供たち」を軍事利用し、そして一頭ずつ失った。

レイニラにとってのドラゴンは「子供」ではなく兵器であり乗り物で、しかし彼女には比喩的な意味ではない子供がいる。レイニラはその子供たちを軍事利用し(子供たち自身が志願したとは言え)、そして失った。この残酷な相似よ。

デナーリスと同じ構図にするならば、あとひとりは子供を失うことになるかもしれない。そして、レイニラの死を見とどけ、彼女のもとを離れて生きていくことになる子供もいるかもしれない。

そうでなかったとしても、ドラゴンを失ったことは残存兵力の減少を意味する。今作はドラゴン対ドラゴンのシーンが見どころなのだと思うけど、対決のたびに減っていく(そして最後には滅ぶ)ドラゴンを見るのは悲しいな。

 

 

暗躍ラリスくん

今作にまだわたしの推しと呼べる人はいないが、ラリスくんの動きにはいちばん期待している。彼が何を目的として何をしているのか、まだ全貌が見えない。

今はオットーとエイゴンの間の不和を画策しているようだけど、何が目的なのだろう。単に自分が王の手に収まりたいっていうだけの話?

アリセントと話すときのラリスくんは背筋がシャキンとしているのに、エイゴンと話すときは背中が曲がって「弱い自分」を演出している。アリセントの前ではもう自分を取り繕わなくていいということだろうか。

向かい合うシルエット状のアリセントとラリスのカットが美しい。ラリスくんは意外と背が高く、あの場で支配的なのは彼だった。

ラリスくん、どう考えてもアリセントとクリストンが寝ていることくらいは把握してるよね。あやしいスタッフは処刑して、自分のネズミを忍び込ませてるんでしょ? 「ご気分が優れない()と侍女から聞きました」じゃねーんだよ。

ネズミを処刑するならガバガバセキュリティをなんとかしてひみつのつうろも塞いでおけやという話なのだが、ひみつのつうろは自分でも使うから仕方ないね! 自分以外が使ったらタライが降ってくるようにしておくとか、何か工夫するべきだったね!

 

今回白蛆が再登場したけれど、ラリスくんは彼女の存在は把握しているのだろうか。仮にも諜報大臣を名乗るなら把握しておいてほしいところだけど、どうなんだろ。

 

 

アリセントとクリストン

あ、おふたりはそういう関係に……。なるほどね、そりゃそうなるか。

今まで性的に搾取され続けてきたアリセントが、レイニラから遅れること20年くらい? で、やっと自分の意思で快楽を求められるようになったんだな。夫が亡くなってからの関係なら責められることはない気もするが、相手が純潔の誓いを立てた騎士なのはまずい。

クリストンも気の毒にな。彼の立場では王族からのアプローチを拒むのは難しい。関係を切るのにもやっぱり継続するのにも、自分の意思が介入する余地がない。

最初は誓いを破り、名誉を失う覚悟を決めてレイニラと関係を持ったのにな。「自分にはもう名誉はない」と思ったからこそS1で自棄になり、死をも覚悟したのに。どうせ名誉がないならと開き直っているのだろうか。今の自分の名誉を守るためにアリセントに忠実であろうとしているのだろうか。

 

クリストンとジョン・スノウが似ている点についてはS1時点で書いた。

これは1話から指摘されていたことだと思うが、サー・クリストンは明らかにジョン・スノウの外見的特徴をなぞっている。今のところあの世界であんな黒髪はクリストンだけだ。髪型もひげも似ている。

そしてクリストンは何も知らないムーブまでジョン・スノウをなぞっている。

彼は彼なりに女性の気持ちを思いやっているつもりでいるが、だいぶ見当違いである。ジョン・スノウも同じだった。彼らはどちらとも「自分の考える女性像」を持っていて、その女性像への思いやりを働かせている。目の前にいる本物の女性が何を考えているかについて正確な洞察はできない。またその結果、事態を悪い方へ進展させる。

期待値爆上げの結婚式「ハウスオブザドラゴン」1-5感想 - なぜ面白いのか

 

今回のクリストンを見て、ますますジョン・スノウだなあと思ったりした。

イグリットという自分とは異質な女性と「禁断の恋」に耽り、純潔の誓いを破る。しかしジョンは結局イグリットと敵対し、彼女を失う。傷心の彼はデナーリスと出会い、ホイホイ寝てしまう。そして何も知らない。守るべき相手が暗殺されてましたが……。

同情の余地はあるが絶妙にイラつかせるこの感じ、ジョン・スノウだなあ。

 

 

息子には息子を

エイモンドがいないならエイゴンの息子を殺せばいいじゃない理論やめろ!

どう考えてもエイモンドには勝てんやろと思って余裕で見てたら無抵抗の子供の首がゴキゴキ斬られる音がしてショックを受ける視聴者の気持ち考えたことあんの???(考えたからこその演出だよ)

いずれ王位を継ぐ者として図書館でお勉強してたのに、エイゴンに連れ出されて会議に参加とかかわいそうに、と思っていたらこれ。ヘレイナへの二択もきつすぎる。人の心とかないんか(GRRMに人の心を期待する方が間違い)。

 

ちなみにエイゴンのダメ王っぷりがじっくり描写されて、各方面が気の毒でならなかった。陳情者も報われない。

でもエイゴンってもともと王位継承者とは見られてなかったから、統治者としての教育は受けてないんだよね。だからいきなり良い統治者として振る舞うのは難しい部分はあるかも。それ以前の問題だろと言われたら、はいそうですねと言うほかないが。

なんで「王が民のひとりを特別扱いしたら全員から同じ扱いを求められる」ことがわかんないかなーとは思うんだけど、でもそれが当たり前に理解できるのはちゃんとした学校教育、特に集団授業を受けたことがあるからだよなとも思う。

 

 

Winter is coming

S2の冒頭、あの懐かしい北部訛りを聞いて、アアアアスタークだあああああ!! ってなったね。普段あのアクセントを聞く機会がないから、わたしにとってあれは完全に「北部」の話し方だ。ウェスタロスに帰ってきた感がすごかった。

当代のスタークがめちゃくちゃネッドに似ているし(シルエットだけ見るとほぼそのままでは)! よくこんなスターク顔の役者さんを見つけてきたなあ。

でも death を「死神」と訳すのはちょっと違うような。定冠詞つきの The Death なら「死神」でもいいと思うけど。

 

これから季節は冬になるのか。そういえばあの夏冬システムは結局謎だったし、ゲームオブスローンズでも解決せずに終わったなあ。

冬になるということは、今後戦火の広がるであろうウェスタロスで、さらに食糧問題も噴出したりするのかな。

 

 

そんな感じで、1話から全力でクライマックスを食らって大満足である。S2でどこまでやるんだろう。このあとの大惨事と滅亡の結末を知っている分、安心して視聴できるわけだが、 どれくらいやってくれるのかに期待がかかる。

 

 

 

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