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折れる剣で完成する物語「サガフロンティア2」クリア後感想

スタート画面が変わってる…?

サガフロ2」、クリアしたー!!!

いい物語だった。なぜこのような構成だったのか、なぜ彼らが主人公だったのかも納得できたし、彼らのしてきたことがこのような形で実を結んだのがあまりにもエモい。

難易度も高い上に戦闘が多すぎる(個人的には難易度よりも戦闘の多さの方がだるかった)(フィールド音楽も良かったのに、1フレーズすらまともに聞けずに次の戦闘が始まるのはうんざりする)ので何度か挫折の危機があったが、「挫折するくらいなら攻略情報を見る」という方針で乗り切った。エンディングまで見られて本当によかった。

本日はエンディング+クリア後に見られるイベントまでのネタバレ感想!

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スクショについて:

© SQUARE ENIX 
ILLUSTRATION: TOMOMI KOBAYASHI 

 

 

グスタフの髪型ってイメージイラストの時点でこうだったの(驚愕)

 

サウスマウンドトップの戦い

購入前から噂だけは目にしていた高難易度コンバット戦。今までのSRPGの経験でなんとかならないかな~と思いながらまずは普通に突入し、普通に蹴散らされてゲームオーバーになった。アカン!!! 鋼鉄兵強すぎ!! こっちの雑兵弱すぎ!! 本陣突入されすぎ!!

というわけで、早々に攻略サイトのお世話になった。

なるほどなるほど。これはあれか、きっとこの戦争の歴史資料はかなり具体的に残っていて、「後世の歴史家」も彼我の戦力差を捏造はできなかったんだな。というかこの戦争がどのように進行してどのように決着したのかについても相当詳細に記録が残っていて(それこそ関ケ原の戦いみたいに)、「後世のみんなが知ってるあの戦い」を再現することこそが「このドラマの脚本家」に求められていることで、それ以外の展開はできないようにデザインされていたわけだ。

関ケ原の戦いをドラマ化するにあたって、毛利が「弁当うめえ」して、松尾山から小早川軍が下りてきて大谷軍とぶつかり、西軍から裏切りが次々出てぐちゃぐちゃになった挙句、西軍が崩壊して一日で決着した、みたいな「みんな知ってる」部分は変えられないのと同じ。

(なおわたしは関ケ原観光の際、松尾山に(南宮山ではなく)おやつを持参して「弁当うめえ」と毛利ごっこした)(両軍ファンから殴られるやつ)

残念ながらわたしは年表をかじっただけのにわかサンダイル史家なので「みんな知ってる」戦史を知らず、史実の再現ができていなかったわけだ。

あの勝利パターン、本当にすごかったな。これはたしかに後世に語り継がれる。圧倒的戦力差(というかアニマ力差?)の中、エーデルリッターを各個撃破していくデーヴィド軍。ガチの消耗戦で、兵は次々と斃れていく。スマッシュで一撃死する兵を見ていることしかできないのがつらい。

本陣に突撃しようとしてくるギュスターヴ軍を、壁を作って必死に止めるデーヴィド軍。しかし鋼鉄兵は強すぎて、防御に徹することしかできない。援軍が到着することを信じて守り続けるも、じりじりと追い詰められていくデーヴィド軍。もうこれ以上続けたら本陣陥落だというところに、ラウプホルツ軍が到着する。

あれは本当にドラマチックだった。生存者全員が語り継ぐ戦だっただろう。生存者が多少盛っても許されるだろう。

そしてこの形の戦勝であればなおさら、デーヴィドは今後、諸侯との結束をより重視していくことになるだろう。かつての敵に助けられたのだから。

ちょっと Battle of Bastards を思い出しちゃったけど、あれは味方側もほぼアリンの援軍を知らないまま戦ってたから少し違うか。

それはそれとして、ボルスはマジで反省しろ。お前のおかげでギュスターヴ軍が敗戦したようなもんだろ。

その後の展開を見ても、エッグの洗脳はある程度素体の個性を残したもののようだった。個性を全部上書きしてしまうと、アニマ的な特性まで消えてしまうのかもね。ボルスの人の話を聞かない自信過剰野郎なところが消えてなくて、本当に助かった。

ただこの戦いの後にエッグとエーデルリッターご一行が北方に向かったのは、ボルスが北方軍を倒したからよね? そう考えると、ボルスの手柄はある程度は評価されたかもしれない。それはそれとして軍規は守るべきだが。

デーヴィドの戦勝あいさつは、このゲームの総括としても良いものだった。

きっとサンダイルの人たちにとってギュスターヴは、価値観の大転換を迫るような存在だったのだろう。石や樹にも劣ると見なされてきた術不能者が戦う力を持ち、国の体制を変え、新しい都まで繁栄させたのだから。

人々の価値観の変化を端的に感じられたのが、実はショップの品揃えの変化だったりする。あれはきっとサンダイル史考証に基づいた品揃えだったに違いない。徐々に鋼鉄製武器防具が増えていったものね。それに気づいたときは「ゲームにはこういう表現方法もあるのか」と驚いたものだ。

きっとギュスターヴの戦闘スタイルや、戦争に鋼鉄装備を活用して成功したことが庶民の間でも広まっていたのだろう。戦争は発明の母であり、価値観転換のきっかけでもある。

Pax Davida かな?

いいエンディングだった!!(ここでギュスターヴの歴史を振り返るカットシーン)

 

 

最後のメガリス

いやエンディングじゃねーんだわ!!! この手でエッグを割らにゃーおえまーが!(割らないことにはすべて片が付いたことにはならないだろうの意)

というわけで、まずはグスタフ視点。パーティメンバーにはここで彼の出自が明かされることになる。炎の剣はやはりファイアブランドだったが、ここでヴァンアーブルから「ギュスターヴの剣」を継承する。ということは、「グスタフの剣」はグスタフのために作られた別の鋼鉄製の剣だったのか。

プルミエールの過去ももうひとつ明らかになった。彼女も家出してきたんだな。それも母親が人生を懸けてやってきたことを全否定して。

まあ付き合わされた子どもの立場ならこう言いたくなるのもわかる。親のやっていることを客観視できる年齢になれば、嫌悪感を抱くのもわかる。プルミエールは「ヤーデ伯の孫」に助けられた思い出もあり、「今のヤーデ伯家」には悪感情がないことも、この言動につながっているかもしれない。

しかし同時に、子どもって残酷だな……とも思ったりした。ヌヴィエムはこの後どうなったのかな。カンタール家自体は20人も子どもがいたなら何らかの形で存続はしただろう。でも彼女は個としての自分の人生を振り返ってどう思っただろう。

グスタフの過去も明らかになった。頭身小さいドット絵がかわいい。この頃の髪型は割と普通なのに、どうして今はあんな感じなんだ。変装……? ヴァンアーブルも、よく今のグスタフを見て同一人物だとわかったな。

ファイアブランドを継ぐのが王位継承者だと思っていたのだが、フィリップのこの口ぶりだと「ヤーデ伯」を継ぐのはデーヴィドらしい。デーヴィドのエンディングを見ると今後王権体制自体が変化する可能性もあるが、フィリップとしてはどういう予定だったんだろうな。「ヤーデ伯」はデーヴィドが継いで、王位はグスタフが継ぐ予定だったってこと?

グスタフもまた、自分のなすべきことを捨てて家を飛び出していた。このときギュスターヴ14歳、デーヴィド18歳。サンダイルの民、14歳で家出しがち(ジニーも)。

グスタフとプルミエールの境遇は、似ているように見えてちょっと違う。

プルミエールは母親の生き方を全否定したが、グスタフは父親や従兄の生き方を否定したいわけではない。ただ「重すぎる」。彼は自由に生きたいというよりは、自信がないだけに見える。自分の手でまだ何かを成し遂げたという実感もないのに、国を背負わされるという重責だけは持っている状態だ。

グスタフと比較するべきは、むしろギュスターヴなのではないか。このふたりは対比的にデザインされている。

ギュスターヴはファイアブランドに認められず自分の存在価値を否定され、被差別民として生きてきた。しかし自分の力で何かを成し遂げたい気持ちは持っており、仲間の力を借りてそれを実現した。

グスタフはファイアブランドに認められるだけのアニマの力を持ち、王位継承者として生きてきた。しかし自分の力で何かを成し遂げる機会がなく、現在に至るまで「成功体験」と言えるものを積み上げられていない。

そんなグスタフが「ギュスターヴの剣」を継いで戦場に向かったのは、今の彼が自分のなすべきことともう一度向き合おうとしているという意味だろう。

そこにはたぶん、ジニーの影響も多少はある。ジニーが父親の形見を発見し、ウィルからナイツ家の使命を聞かされて戦おうとしているのを見て、グスタフも感じるものがあったのではないか。「あの頃の自分」と同じ年齢のジニーなわけだし。

ラストダンジョンは攻略サイトを見ながら進み、エーデルリッター連中も倒していった。ボルスくんは最後にこんなふうになってしまったのか。これ本当に洗脳されてるか???? と思わなくもない。ボルスくんに関しては洗脳の必要なかったし、実はされてないのかもしれない。

エーデルリッターの六人目は何者だろうとずっと思っていたのだが、この人だったらしい。スクショが残っていた。リッチパーティにいた人たちが討伐しようとしていた野盗のボスだったかな。「瞬間的に引き出されたアニマの量が尋常じゃなかった」とコメントされているので、よほど才のある人だったのだろう。

モイは本当に気の毒だったな。このかわいそうなドット絵ばかり見ていた気がする。特に伝令失敗が本当に彼の意図したものではなかった場合、余計に気の毒だ。

サルゴンがこうしてエッグの由来を教えてくれたのは、彼の自我が残っていたからだろうか。最後のパーティにサルゴンを直接知る人がいなかったのが、よかったのかどうか。せっかくいろいろ教えてくれたのに、「我もまた滅ぶべき」とか言って戦うことになった。できればエッグの弱点とかも教えてほしかったが。

結局エッグは何らかの「個体」だったのかな。古代人の集合意識みたいなものもありえるかと思っていたのだが。でも前回記事でウィルが「人間の力は個人の力ではない」と言っていたのを見ると、やはり「人間の敵」は「個体」だったのかも。

種族が滅ぶときに「自分だけ生き延びよう」と考えて、自分のアニマだけを封じるって、当時の価値観的にどうだったんだろうな。一緒に生きたい友達とかいなかったんだろうか(FF14を思い出す顔)。

触れることもできないエッグを、ギュスターヴの剣が破壊した。ファイアブランドではなく、ギュスターヴの剣が。

ここに収束したんだ。ギュスターヴとウィルの物語は。

もうね、これほどにエモい歴史群像劇があるだろうか。

特に、わたしはギュスターヴの死亡時に、彼は「自己実現」という意味では満足していなかったのではないかと解釈していたので。

(長いので詳しくはこちらに)

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彼が本当に実現したかったのは、自らの剣で人々を守るようなことだったんじゃないか。でも実際に彼が実現したのは、立場によっては「秩序を乱し、たくさんのアニマを失わせた」と評価されるようなことだった。後世の歴史家(=プレイヤー)によって解釈が分かれるところだろうけど、わたしはギュスターヴがそのことに心から満たされているとは思えなかった。

でも、ギュスターヴが作った剣がエッグを砕いた。彼が彼の自己実現のために作った剣が、世界を救った。あの剣は、ギュスターヴが本当にやりたかったことの象徴である。それが友と妹の孫に受け継がれ、孫自身を守り、世界をも救った。

ギュスターヴ自身はもちろんそれを知らずに亡くなった。でも彼の「アニマ」は、あのときあそこにいたかもしれない(実際、ギュスターヴが能力継承していたし)。彼はこの結末を見たら、きっと満足しただろう。自分のなしてきたことが、世界を救う形で実を結んだことで、彼は望んでいた「自己実現」を果たしたのだ。

こんなエモい話があるかよ。

折れた剣は、普通は敗戦の象徴である。もしくは「夏草や兵どもが夢の跡」的な諸行無常の象徴か。わたしも、このパッケージイラストを見たときはそういう意味のものだと思っていた。

でも違ったんだな。これは剣が折れることで完成する物語だった。折れた剣は人類の勝利の証であり、希望の象徴だ。この折れた剣の印象が、最初と最後でまったく変わるのもとてつもなくドラマチックだ。

 

 

或る英雄の最期

で、いいエンディングだった~! と思いながらクリアデータをロードしたらこれよ。

オイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!!

ギュスターヴ!!!!!!!! お前まで生きとったんかワレェ!!!!!!!!!(一週間ぶり四度目)

はーーーーーもうね、これは「後世の創作」扱いでもいいと思う。そりゃああいう戦争だったらこういう説も出るよ。

しかしシルマール先生もレスリーも当然、正式な記録は残してなかっただろうけど、レスリー自身のその後の生息とか、シルマール先生が時々ひとりでどこかに出かけていたとかの記録は残っていそうだ。そういうのをつなぎあわせて、後世の歴史家が導き出した仮説くらいではあるのかもしれない。

クリア後のエピソードを見たトロフィー名が「真の歴史を知る者」なので、公式にはこれが正史なんだろうな。

このエピソードを史実とするならば、やはりわたしはギュスターヴは国のトップに立ちながら「自己実現」には満足していなかった解釈になる。

もしかしたら「これじゃない感」を、シルマール先生とレスリーにはこっそり打ち明けたこともあったのかもしれない。だからこそシルマール先生はあの日、ギュスターヴを生かしながら、彼を待つ人たちのところには連れ帰らなかった。

ギュスターヴは自分の「死後」、世界情勢が乱れまくったのを見てどう思っていたんだろう。腕を失って戦えなくなった彼は、たしかに国に戻っても何もできなかったかもしれない。でもギュスターヴという「国家の象徴」がいれば、ついてきた諸侯もいたかもしれないのに。ケルヴィンがああいう形で泥沼の戦いを続けることもなかったかもしれないのに。

これでよかったんだろうか。よかったんだろうなあ。戻ろうと思えばいつでも戻れたはずだし。

レスリーと過ごした20年弱(結構長い)は、「術不能者」でもなく「鋼の13世」でもなく、ただの「ギュスターヴ」として過ごせたのだろう。

母親のこの言葉に戻ってきたのかなあっていう。だからこそ彼は晩年にただ「人間」であろうとした。そうだとしたら、彼があの生活に満たされていたのもわかる。

カンタールと同年に亡くなってるんだよな……。

クリア後のエピソードでよかったなと思ったのはこのくだり。

この時代の人々は鋼鉄にはアニマが宿らないと思っているけど、実は人には(たぶんエッグにも)感知できない「違った形のアニマ」があるのではないか。ギュスターヴには、そして彼の普及させた鋼の武器には、「違った形のアニマ」が宿っていたのではないか。FF14でいうなら、エーテルに対するデュナミスみたいな力が存在しているのかもしれない。

そうだとしたら、エッグを砕いた「ギュスターヴの剣」の意味がますます大きくなるなと思って。エッグは「アニマを通さない武器」によって砕かれたのではなく、「古代人には使えず現生人類だけが使える別種のアニマ」によって砕かれたとも解釈できるから。

そしてここがポイントなのだが、プレイヤーは後世の歴史家ポジションでこのゲームをプレイするが、その「後世」がどうなっているのかはわからないのだ。つまり「後世」とは、その「違った形のアニマ」の研究が進んでいる時代だったりするのかもしれない。

だとすると(仮定に仮定を重ねていくスタイル)、「英雄」ギュスターヴ13世は、ただ国取りをして世の価値観を変えただけではないのかもしれない(それでも十分「英雄」だが)。新規のアニマ発見の起点になった人物として、歴史上重要な意味を持つからこそ、あらゆる分野の研究者から注目される存在になったのかもしれない。

そういう意味で、ギュスターヴはアニマ研究の「フロンティア」だったのじゃ、みたいなオチもアリかもね。

ゲームの外のことはプレイヤーにはわからない。でもこのシルマール先生の台詞によって、そういう可能性が広がった気がする。

もともと最低限の描写をつなぎあわせてプレイヤーが想像しながら理解を進めるゲームだったけど、最後にこんなふうに可能性を開かれて、ますますその想像が楽しくなった。めちゃくちゃ複雑で理解も大変だったけど、年表と相関図と攻略サイトに助けられながら最後までプレイできてよかった。

「旧版からのファン向けに新規プレイヤーとして書いてみる」というスタンスで書き始めたプレイ日記、結局いつも以上にわたしの趣味に偏った記事になってしまったが、「わたしにしか書けないものを書く」のがそもそものこのブログの主眼なので、まあこれはこれでいいか……と開き直りつつ、本日はこれでおしまい。

 

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