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点と線で見る歴史「The Berlin Apartment」クリア後感想

The Berlin Apartment をクリアした!

一通りクリアするのに5時間くらいの、サクっと遊べるオムニバス形式のゲームだ。

現代のベルリンに建つアパートの一室をリノベーションする親子から物語が始まる。アパートがあるのは、旧東ドイツ領の壁のすぐ近く。テレビ塔が窓から見える。

親の仕事を手伝おうとする子どもは、部屋のあちこちから過去の住人の痕跡を発見する。それを見た父親は、子どもに過去の住人の物語を語って聞かせる。

それは父親がその場で作りだした「物語」だと思われるが、しかしそれに近いことは当時実際にあったのだろうとプレイヤーの想像力を刺激する。ドイツ語の Geschihite には「歴史」と「物語」両方の意味があることをふまえると、このゲームの構想自体がとてもドイツ語的である(一方英語では story に hi- をつけると「歴史」になるのだが)。

1933年、1945年、1967年、1989年の東ベルリンと聞けば、そこでどのような物語が展開するのかは想像がつくはず。おおむね想像通りの物語ではあったが、1967年の物語は想像以上だった(みんな、1967年最後の選択肢はどっちを選んだ?)。

現代史にもっと詳しければ、さらに小ネタをたくさん拾えたのではないかと思う。

ゲーム性はそれほど高いわけではない。何をすればいいかはメニュー画面から確認できるので、詰まるようなところもない。

ちょっとした分岐、ちょっとしたパズル、ちょっとした迷路(アパートでなぜ迷路? と思われたらぜひやって驚いてほしい)はある。章ごとに微妙にゲームのジャンルも違うのが面白い。

ただわたしとしては、それらはあくまでフレーバーで、このゲームのメインは「それぞれの住人視点で彼らの人生に少しずつ介入できる」点にあると思っている。

変わりゆくものと普遍的なもの、点で見る歴史と線で見る歴史を両方内側から体験する。そして自分自身もまた歴史の一部なのだと自覚させられる。これがこの物語が映画や小説ではなく「ゲーム」であることの意味である。

ドイツの現代史にちょっとでも興味があったら、きっと楽しめるだろう。

ちなみにわたしは、旧東ベルリン側のとあるおうちにホームステイしていたことがある。毎日地下鉄に乗ってアレクサンダープラッツ(今作のアパートはこの近くにあると思われる)まで出て、そこでバスに乗り換えて旧西ベルリン側へ通っていた。時代が時代なら凄腕のスパイ以外には許されないルートである。バスの窓から国会議事堂を眺めたり、アレクサンダープラッツのビアガーデンで一杯やったりしながら、この時代のベルリンに来られてよかったなと思ったものである。

(冷戦時代を描いた映画を見ると大体アレクサンダープラッツが物騒な文脈で出てくるので、そのたびに「今ではあのあたりに平和なビアガーデンがあるのに……」と思い出す)

なお音声は Englisch・Deutsch(ドイツ語)を選択できる。ドイツ語音声・日本語字幕も可能。日本語訳は大きな問題はなかった。ありがたい。PS5環境でたまに一部の日本語が文字化けすることがあったが、意味がわからないほどではなかった。

音声がベルリン方言全開だったらお手上げだったが、幸いにもかなり標準ドイツ語に近かった。しかもどの時代でも基本的には現代ドイツ語の言い回しと発音である。子どもの舌足らずなドイツ語ほどかわいいものはない

もし未プレイの方がこれを読んでいたら、とりあえずほしいものリストにつっこんでおいて、セールになったタイミングにでも購入して、一気にプレイしてみてはいかがか。

未プレイの方向けの感想はこれくらいにして、以下はネタバレ感想。

 

 

最初に見たこの窓からの景色が、クリア後は特別なものになっている

 

1989年:コーリャ

Hey du da!

せっかくなので各時代とそのキャラたちについて簡単にネタバレ感想を残しておく。

プレイ順に、まずは1989年から。主人公は植物学者のコーリャ。

ゲームジャンルとしては、紙飛行アドベンチャー(??)とでもいうべきか。紙飛行機の操作だけやたら難しかった。一応スキップもできるようだが、頑張って全部自力でお届けした。

「社会主義下ではまったく必要とされない植物学者」が、共産ジョークをかましながら一生懸命コミュニケーションをとろうとする優しい時間。コーリャとルーの文通は本当にかわいかった。

このボードとコーリャとエーリッヒの話を聞くと、かつての同居人ミルコは西側に逃亡したらしい。コーリャも最初は逃亡しようとしていたが、植物をおいていけない……というのは口実で、勇気が出なくて逃げるのをやめてしまったようだ。

そして彼らとともに行けなかった罪悪感と寂しさから「エーリッヒ」の人格が生まれた、みたいな。

コーリャとルーのその後はわからない。でもこの物語の数カ月後、1989年11月9日の深夜には、ベルリンの壁は壊され始める。彼らも会えたんじゃないかな。そうだったらいい。

ちなみにわたしが旧東ベルリンでお世話になった大家さんは、ベルリンの壁崩壊にまったく気づかず爆睡しており、翌朝ラジオでそれを知って胃がひっくりかえるほど驚いたらしい。それを聞いてわたしも笑ってしまったが、そりゃそういう人もいたよね。当時はスマホもSNSもないし、壁が壊され始めたのは日付が変わる頃だったし。

ゲームをやりながら、コーリャも気づかず寝てるタイプっぽいなと思ったりした。

 

 

1945年:マチルダ

つらい

次は第二次大戦終結直後の1945年12月。まだ東西ドイツに分割されてはいないが、このアパートのある場所はソ連統治下にあった。だから食料も配給制度なのね。

大戦末期にはベルリンは空襲されまくっていたので、アパートも彼らが今いる部屋以外は壊されていたりする。ほかの部屋には彼らと父親の思い出の品が散乱しており、とてもつらい。

マグダが「ベルリンに戻るべきじゃなかった」と言っていたから、彼らは一時期空襲を避けて疎開していたものと思われる。戦後、このアパートに戻ってきたということか。

マチルダの父親は、服装からしてナチスの上級将校だったのかな。勲章もいくつかもらっていたようだし、ピアノが弾けるようだし、きっといい家の生まれだったのだろう。この時期に家族のもとに戻っていないということは、もうこの先も戻ってくる見込みは薄いかも。つらい。

これね、マリクはあの藁で作った星飾りからこういうお話を作ったけど、たぶん子ども向けにずいぶんマイルドな設定にしてあげたのではないかと思う。実際にはもっとシビアな状況だったんじゃないかな。

だって、あの星飾りはストーブの中から見つかったのだ。クリスマスの星飾りを燃やして暖をとろうなんて、もういよいよおしまいの段階じゃないか。星飾りを作って飾ったであろう子ども自身が亡くなって、誰ももう星飾りを必要としなくなったので燃やそうとした、みたいなストーリーまで想像してしまった。

この時代だけ、窓から外を見る機会がほとんどない。リビングの窓は板で打ち付けられてしまっていたし。唯一外が見えるのはこのシーン。廃墟のベルリンだ。つらい。

60年代のアパートには彼らの姿はない。このあと彼らはどこへ行き、どうやって暮らしていったのかな。手遅れになる前に西ベルリンに引越しできていたらいいのだけど。

なおゲームジャンルとしてはインテリアコーディネートアドベンチャー、になるのかな。趣旨としては「どうぶつの森」のハッピーホームアカデミーとかを連想した。空気は全然違うが

 

 

1933年:ヨーゼフ

字幕では「ジョセフ」となっていたが、Josef にしても Joseph にしても、ドイツ語読みは「ヨーゼフ」である。

ゲームジャンルはまさかのパズルである。最後は焦ったよ。どうにか全部詰め込んだけど、トロフィーを見ると石も含めてすべて詰め込めるらしい。

1945年の直後に1933年に移動したものだから、アパートの内装や家具の違いに愕然とした。時代は遡っているのに、1933年の方がずっと豊かな暮らしをしている。

そうよね、この頃はまだ物資もあったし、人々は映画という娯楽を享受できた。

1933年1月にヒトラーが首相に就任した。3月の選挙で、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチスのこと)(何回見てもひどい党名である)(省略された通称が出回ったのもしゃーなし)が連立与党とあわせて過半数をとった。

1930年代になると『我が闘争』がベストセラーになってヒトラーに印税が入りまくったらしいので、それとともに彼の反ユダヤ主義も広まっていったようだ。

ただし反ユダヤ主義は別にヒトラーの専売特許ではなく、中世以降、ヨーロッパ各地でユダヤ人の大規模迫害はたびたびあったし、そうでない時期もユダヤ人はうっすらと排除の対象にはなっていた。だから一般人がヒトラーの思想を受け入れる下地は、何百年もかけて醸成されていたということだ。

以前やった Pentiment は16世紀のドイツを舞台にしたゲームだったが、こちらでもユダヤ人迫害が描かれていた。

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それでも、ヨーゼフの映画館にはベルリンの人々が集まっていたのにね。次第に客足が遠のき、ヨーゼフ自身も迫害されていくのがつらかった。

「1933年の主人公はユダヤ人なのか!」と徐々に気づかせる手法は見事だった。あれで一気に緊張感が高まったもの。たぶんわたしは階下の住人が床ドンして苦情を言うシーンで「あっ(察し)」になった。

ヨーゼフパートは映画風の演出が効果的に使われていて、それがたまらなく「もうもとには戻れないあの頃」感を引き出していた。

この橋も渡ったことある! 上で書いた旧東ベルリンの大家さんは、ベルリンの壁崩壊後の朝になってラジオを聞いて仰天した後、この橋を歩いて渡って西側に向かったそうだ。ベルリンの歴史を見守ってきた、文化的にも重要な橋である。

でもこの絵は「現代」において処分されてしまうんだよね。あれは悲しかった。

窓から見える建物は、コーリャの時代とあまり変わらない。ただコーリャの時代にはハーケンクロイツの旗が消えて、かわりに壁が建っている。

ヨーゼフの時代にはこのアパートから目の前の映画館まで普通に歩いて数秒で通勤できただろうに、コーリャの時代には、この距離を渡るのは命懸けだ。

ちなみにコーリャの時代、ここは再び映画館になっている。Theater an der Mauer(壁際の劇場)と書かれているのが見える。

「現代」では、ここは再び持ち主が変わったようだ。Liebermanns って何屋だろう? と思ったが、スクショを眺めていて気付いた。Liebermann ってヨーゼフの名字か!!

撮っておいてよかった

つまりコーリャの時代にあった Adonis という名の映画館が撤退した後、誰かがここに昔あった「ユダヤ人が経営しており焼き討ちされた映画館」のことを調べて、ヨーゼフの名を冠した映画館を作ったってこと? もしくはヨーゼフの孫かひ孫あたりがベルリンに戻ってきてこの映画館を開いたとか。

あーいや違う、逆か。この話はマリクの「創作」なのだから、マリクが壁を塗りながら、外にある Liebermanns という名の映画館(たぶん)を見て、そこから着想を得てヨーゼフの話を作ったんだ。話を作る際のヒントはブランデンブルク門の写真一枚だったのだから。作中作設定はややこしいな。

(この写真一枚からこんな話を捜索するマリク、リノベーション業者をやっている場合ではない。作家になるべき)

あえてヨーゼフ視点で考えてみると、彼が無事に逃げられたのか、逃げた先で新しい幸せを見つけられたのか、それはわからない。でも彼が映画を愛したことを誰かが覚えていて、もしくは彼の記録が何らかの形で残っていて、それが何年も後の時代になって実を結んだのだとすれば、それは彼にとっても救いになるはず。

 

 

1967年:トニ

アントニアの愛称でトニと呼ばれる主人公。この章だけディラーラの創作である。ディラーラの創作だけあって、いちばん突拍子もない。何しろアパートが宇宙船になる。

ゲームジャンルは文字通りのノベルゲー。選択肢で展開が変わるっぽい。この話がいちばんボリュームがあった。

60年代風のSF作品をつくっていくお話なのかなと思っていたが、途中から様子がおかしくなる。

人類史上最悪の編集者からクソみたいな要求をされ、作品がめちゃくちゃになっていく。

東ドイツでは出版の自由はなかったが、ここで描かれているのは当局からの要求ではない出版社側からの忖度である。戦時中の日本も実は当局からの差し止め以上に、出版社側の忖度によって差し止めになった原稿が大量にあったらしい。どこの時代も、洋の東西を問わず、民衆の方から進んで自分たちの権利を狭め、首を絞める行為は見られる。1933年でも、「圧政」ではなくそういう「民衆」側の行為が描かれていた。

小説があまりに迷走してもうだめかと何度も思ったが、彼女はストーリーの核を最後まで見失わなかった。

わたしはコアを守って自分の名前を消す方を選んだ。父親=KARL の名前で出版すれば、彼女が世界に伝えたいメッセージはきっと守られる。

この選択には、わたし自身がこういうブログをやっていることも影響していたかもしれない。わたしも自分の感じたこと、考えたことを世に送る方が、自分の名前を残すことよりも大事だと思っているから。というかわたしが何者なのかという情報をこのブログに添えると、これまでこのブログに書いてきたことの意味がたぶん微妙に変質してしまう。だからわたしを構成する属性をほとんど伏せて、「何者でもない誰か」として好きなように書くのがいちばんいいと思っている。

作品から自分を切り離す選択をSF的に表現するのもお見事。ディラーラも小学生なんかやっている場合ではない。彼女こそ作家になるべきだ。

ここには時代への反発だけではなく、父と子の和解が描かれていた。

カールは最初からここにいた。トニは出版社の言いなりだった父親を尊敬できずにいたが、作品の中に「トニの父親」はずっと存在していたのだ。今気づいたけど、K.A.R.L.に書かれた機体番号は、カールの電話番号じゃないか。

カールがトニの作品を認め、トニがカールの抱えてきた苦悩を理解したことで、ふたりは歩み寄り、和解することができた。

そしてさらに面白いのは、この物語を実際に作っているディラーラもまた娘であり、父親のマリクにこの物語を語っているということである。マリクはこの物語を聞いてどう感じただろうか。

ゲーム開始時からあそこに描かれていたグラフィティアートは、トニの著作を読んだ人が描いたものだったのだ……ではなくて、ディラーラはあの絵を見ながらこの物語を考えていたということね。

ディラーラの考える結末は優しい。トニの名前は世に出なかったが、そのかわり彼女は自由のために戦い、壁を越えた最初の人たちのひとりになった。そうであったらいい。

この部屋に住んでいた人たちが実際にどうなったのか、本当のところはわからない。けれど彼らがみんな幸せに生きていってくれたらいいと思う。これが結局のところマリクとディラーラの作り話であるからこそ、どこの誰ともわからない、名前も知らない誰かの幸せをあまねく願うことになるのがとても美しい。

 

 

そして「現在」もいずれ「歴史」になる

このゲームの最高なところは、エンディングだ。

マリクはこの「タイムカプセル」に自分たちの持ち物も入れて、リノベーションしたアパートの床に埋めていく。業者がそんなことしてええんか?? という気はしたが、ゲームなんだし細かいこと言うな。

これは「現在」もいずれは「歴史」になるのだということをふたりが自覚しているということだ。自分たちもまた歴史の一部であり、後の世の誰かに影響を与えるかもしれない。

将来、誰かがディラーラが壁に描いた絵に気づくかもしれない。誰かがこのタイムカプセルを開けるかもしれない。ここは彼らの家ではないので、彼らにはもう開けることはできない。でも彼らもこのアパートの歴史の一部になって、この場所に残り続ける。

それにしても、地震のない国の物語であるなあ。

日本ではなかなかこういうゲームは難しいかもしれないな、と思ったりした。日本でやるなら神社とかお寺とか、その場所に強い意味があるケースかなあ。そういうのだったらもうあるか。

ベルリンにもまた行きたいな。そしてマルクトハレ・ノインで燻製バーベキューを腹いっぱい食べるんだ……。

 

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