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協働を描く物語「ラストマン 全盲の捜査官」感想

本日は珍しく日本のドラマの感想。

わたしは日本の俳優さん、というか芸能人に疎く、何を見ても出演者の顔なんてほぼわからない。顔認識機能もガバガバなうえ、人の顔を覚えるのも名前を覚えるのも苦手である。

そんなわたしが知っている数少ない俳優さんのふたり、福山雅治大泉洋が並んでいるサムネをアマゾンプライムで見つけた。バディものの警察ドラマだという。

福山雅治はだいぶ前に「ガリレオ」を見たきりだが、顔が好きだったので覚えていた。大泉洋の方は、わたしが料理中によくU-NEXTで「おにぎりあたためますか」を流しているので、名前も顔も覚えていた。こちらも顔が好きである。俳優さんとしてのお仕事を見るのはこれが初めて。

顔が好きなおふたりが主演でバディなら、内容がどうあれきっと見ていて楽しいだろうと思って視聴することにした。

現代の日本のドラマが、視覚障害者をどのように描くのかにも多少興味があった。

そうしたら、エンターテイメントとしてがっつり面白く、かつ障害者とのかかわり方イメージのアップデートを促してくる素敵なドラマだった。これはちゃんと感想を書き残しておきたいと思って筆をとることにした。なんと、このブログで扱う初の日本の映像作品である。

普段はこんなドラマの記事を書いている人だというリンクを置いておこう。

ssayu.hatenablog.com

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以下、ドラマの内容は何もかもネタバレした感想。

 

 

 

そんなオチある!?

最終話まで見てまず出てきた感想がこれである。

いや福山雅治大泉洋が兄弟だとか、そんなことある!? なぜこの設定を思いついた? これ、そのつもりでもう一回最初から見直さないといけないでしょ。そんなことを確かめるためにもう一回見たいドラマなんてある!?

作中で誰も「似てない」とつっこまないのも面白かった。まあ50代にもなればそんなに似てない兄弟も少なくないよね。

でも言われてみると、おふたりのメイクの感じとか、似せてるんだよね、たぶん。似た印象になるように作られたキャラクターだったんだよね。

普通バディものの場合、まず外見の記号的特徴を対称的にするものじゃない? 洋ドラだったらブルネットとブロンドのバディにするとか、ストレートヘアとパーマにするとか、派手っぽい服と落ち着いた服にするとか、いつも着ている服の色を対称的にするとか。

でもこのドラマ、ふたりとも黒いスーツだし、髪型もそんなに対称的にしていない(やろうと思ったらもっと対称的にできるおふたりなのに)。アマゾンプライムでサムネを見たときにまず抱いた違和感はこれだった。

ちゃんと理由があってそうしていたんだなあ。

最大の問題点は、これ一回しかできなくない!? という点。

わたしはこのバディをもっと見たいのだが、こんなオチは一回しかできないじゃないの。もう「皆実さんが日本にバカンスに来ました」みたいな雑な設定でもいいから、シーズン2をつくってくれよ~!

 

 

皆実広見というキャラクター

いいキャラだったなあ。顔がいい。とにかく顔がいいよね。あの顔で言われたらすべてのセリフに説得力があるよね。……と、視聴中ずっと思っていた。

「みなみひろみ」という名前、「み」という音が3つもある。しかも最後の「み」は「見」ときた。「見えない」皆実さんなのに。

おそらく親は「広くものを見て見聞を広め、見識のある人になってほしい」みたいな意味をこめてつけた名前だっただろうに、そんな皆実さんが視力を失ってしまうという悲劇。

でもある意味で「広見」という名前は皆実さんにぴったりの名前だった。彼は「見えない」ことによって、より「広く」、深く、本質を「見る」ことができるようになった。

 

わたしにとっての皆実さんの好きなポイントは、障害を「武器」にしているところ。「私の方が警戒されません」とか言って、障害をアピールしながら犯人を油断させるところ。こういう描写をテレビでやれるようになったんだなあ。

「障害者は『弱者』であり、『弱者』はどんな場面においても『弱者然』としていなければならず、『まわりに助けられる存在』でなければならない」みたいな考えに凝り固まっている人には、もしかしたら衝撃的な描写だったかもしれない。

逆に、よく「障害も個性のひとつ」なんていう言葉も聞く。けれど、本当の意味で「障害を個性にする」キャラクター描写は、これまでそんなに見なかった(フランスドラマの「アストリッドとラファエル 文書係の事件録」は、刑事と自閉症の文書係のバディもので、これは障害を「個性」として描いたドラマに分類してよいと思う)。皆実さんは完全に「障害を個性のひとつ」にしていて、しかもそのことに非常に自覚的である。わたしは自覚的なキャラが好きだ。

視覚障害者にもいろいろな人がいるが、わたしの知る視覚障害者はとにかく姿勢がいい。歩くときに下を見る必要がないから、どんなときも背筋がのびている。皆実さんの歩き方もそうだった。あのきれいで堂々とした立ち姿はわたしにとっては「リアル」だったし、もしかすると誰かの「障害者イメージ」を変えることにつながったかもしれない。

 

彼は自分にできること、できないことを理解し、できることを拡張するべく努力を重ねてきたに違いない。周囲にも恵まれたに違いない。

皆実誠のもとで育たなくて本当によかった。勢津子さんは早くに両親を亡くしているという話だったから、広見少年は皆実家の祖父母に育てられたはずだが、誠の祖父母がまともな人でよかったな。なんで同じ人に育てられたのに誠はあんなろくでなしなんだよ、という今作最大の謎。

謎といえば、勢津子は誰にピアノを習ったんだろう。早くに両親を亡くして、料亭に住み込みで働いていて、どのタイミングでピアノを習えたのか。両親を亡くす前は裕福だったのなら、遺産でそこそこの生活はできるだろうし。皆実家に嫁いでから習い始めたのなら、その先生が広見くんも教えることになるだろうし。

話がそれたが、皆実さんは周囲への感謝の仕方も素直でさっぱりしている。このシリーズは「ありがとう」が丁寧に描かれるのが印象的だ。でもこの「ありがとう」は、決して「障害者から支援者」への感謝ではなく、あくまで「対等な立場での協働」への感謝であるところが良い。少なくともわたしにはそう見えた。

誰かに助けてもらったら礼を言う。協力して仕事をして、それがうまくいったら礼を言う。障害の有無なんて関係ない。誰だって、どんな場面でだってそうあるべきだ。礼を言う側がやたらとへりくだる必要なんてない。お礼を言えば、互いに気持ちよく終われる。それだけのこと。

でも、皆実さんの「ありがとう」は爽やかで心がこもっていて、人をひきつける。彼がみんなから愛されて、たくさんの人を巻き込んでここまでの人生を送ることができた理由のひとつが、あの「ありがとう」にあったことは間違いない。

でも、1話からずっと続いてきた「ありがとう」が、最後に実の父親への「ありがとう」につながるのだということがわかったときは、唸ったし泣いた。

皆実さんの「ありがとう」がつないできた道筋が、あの日あの場所へと彼を連れてきた。なんて美しい物語構造だろう。

 

 

護道心太朗

難しい役だったよね。ある意味で皆実さんよりも難しかったんじゃないか。

「加害者の息子」にフォーカスする物語というのも珍しい(「ブロディガル・サン」はシリアルキラーの息子が主人公だけど、あれはまたちょっと方向性が違うしな)。

強盗殺人犯の息子が刑事になれるのか? というところは若干気になったが、そんな身辺調査よりも護道家の影響力の方が強かったということだろうと納得することにした。

護道さんが皆実さんに対して、割とすぐにフラットな関係性を築くところが好きだ。

最初の護道さんは「自分は障害者の支援者だ」という意識で、皆実さんと顔を合わせた。しかしすぐに、皆実さんが自分に求めているのは「障害者の支援者」ではなく「対等なバディ役」であり、「ツッコミ役」であり、「ともに戦ってくれる人」だということを理解する。このへんは護道さんの優秀さがもろに出ている。なかなかこんなふうにすぐに理解して態度を改められる人ばかりではあるまい。

今作で描かれるふたりは、「支援する人・される人」の関係ではなく「協働」の関係である。「協働」は昨今の医療においても障害者支援の場においても重要なキーワードで、業界では誰もが患者と医療者、障害者と支援者が「協働」の姿勢で臨むことを目標にしているはず。しかしなかなかすぐに実現できることではない。この抽象度の高い言葉をこれほどに具体化し、わかりやすくかつエンタメ的に面白い形で伝えることができたという点に、今作の社会的な意義がある。

護道さんは皆実さんにめちゃくちゃツッコミを入れるし、逆に皆実さんも護道さんに対してズバズバ質問する(父親のこととか)。互いに遠慮がない。フラットな関係である。世の中のいろいろな関係が、こうであってほしいと思う。

皆実さんは、必要とあらばすぐに周囲に助けを求める。護道さんや吾妻さんは彼の目となる。そうすることが、互いにとって良いことだから。協力する方がいろいろなことがうまくいくし、効率もよいし、より良い結果を出せるから。

特にこのドラマは警察が舞台である以上、犯罪行為を拡大させず、より早い犯人逮捕が求められるから「より良い結果」というのがわかりやすい。互いに協働の姿勢がある方が、より早く犯人を逮捕できる。こんなにわかりやすい「協働の説明」がある? 本当に見事。

でも「わたしひとりでは無理なんです」なんて、本当はどんな仕事でも、どんな人でも同じことなのだ。営業が得意な人とか、計算が得意な人とか、文章を書くのが得意な人とか、それぞれにできることとできないことがあって、役割分担をして、そうやって社会は回っているはずだ。やっぱり障害の有無なんて関係なく、社会の中での「協働」のあり方、誰にでもあてはまることを描いたドラマだったんじゃないかと思っている。

 

 

各エピソードは護道さんへの処方

今作は1話完結形式の事件ものになっている。だがそのエピソードはそれぞれが、護道さんを8話ラストの決断(皆実さんと一緒に41年前の事件の真相を知る)を導くために働いた。

1話から子を思う親の姿で護道さんを揺さぶってくる。

2話はもちろん41年前の事件が警察関係者全員に知られることになる事件。

3話は「家族のために」事件のきっかけをつくり、「家族のために」事件を利用した女性の話。護道さんにとっては「護道家のため」というのは何にも勝る優先順位にある考え方だったはずだが、それが揺らぐきっかけになったかもしれない。

4話は「信じた相手が嘘をついていて、そのことにまったく気づいていなかった」女性の起こした事件。もちろんこの時点での護道さんは護道清二のことを信用しきっているが、「そういうこともありうる」ということを護道さんに知らしめた事件。

5話は料理人の話だ。護道さんにとっては父親を想起させるエピソードである。「映える料理」よりも「毎日食べたいお弁当」という価値観は、護道さんの父親の料理を食べて育った経験が下敷きになっている。そしてその価値観を皆実さんと共有できるのは、同じ料理を食べて育った時期があったからである。

6話は親ガチャの話。血がつながっていなくても愛のある家族を描く一方で、その同じ親が別れた妻と実の子にはおそらくほとんど関心も払わず、金銭的援助も行ってこなかった様子が描かれた。このときの護道さんは、「血がつながっていなくても愛のある家族」に護道家を重ね、別れた妻と子が見捨てられた様子に鎌田の方の父親を重ねていたのかもしれない。

7話は真に愛し合う夫婦の話。後になってみるとこれは勢津子の存在を予感させるエピソードだとわかる。この時点での護道さんにとっては、自分の母親の不在を想起するきっかけとなっているかもしれない。

そして8話は、「何ひとつ自分の目で確かめなかった」男性の事件。これはもうそのまま護道さんの今を表す言葉だし、護道さんもあのセリフを言いながら「これって自分にも当てはまるな」と多少は思ったんじゃないか。そのあと皆実さんからも同様の指摘をされていたが。

入れようと思えばどの話にも、その事件と護道さんの過去を重ねながらその回の事件を振り返るシーンを入れられるような話なのだ。8話がいちばん露骨だったけど、全部見終わってから各エピソードを振り返ると、どの話もあの結末を導くものとして機能していたなと思える。

 

皆実さんは父親に「ありがとう」と言えたが、護道さんは「ごめんね」だった。つらい。でも、そうなるよな。41年間、一度も面会に来なくてごめんね。恨んでいてごめんね。信じることができなくてごめんね。真実を知ろうとしなくてごめんね。どれだけ後悔してもしたりないし、懺悔してもしたりない。マジでつらすぎる。

でも、父親はそんな護道さんの頭を撫でる。最期に間に合ったこと、彼がたくさんの人に愛されて(だいぶひねくれてはいるけど)ここまで育ったこと、きっとそれだけで、鎌田は救われたに違いない。間に合ってよかったな。つくづく、清二はいらんことしなくても待つだけでよかったのに(台無し感想)。

あのときの皆実さんの表情がちゃんと「兄」に見えて、「兄」として「弟」をいたわっているように見えて、ちょっと感動だった。

 

しかしこんな構成の妙も一回しかできそうにないのが難しいところである。

なんでもいいから続編をつくってほしい。わたしは続編をつくってほしい一心でこの記事を書いている。好きなものは好きだと発信しなければ、気持ちは伝わらないしな!

皆実さんは祖父母には愛されて育ったのだろうけども、兄弟がいたことがわかって本当はとても嬉しかったに違いないのだ。もっと「ブラザー」とキャッキャしたいに違いないのだ。すぐに距離感が変わるわけでもなく、そもそも真実を知っても「何も変わらない」と言っていた皆実さんだったけど、やはり「弟」に対して「兄」として接したい気持ちはあるはずなのだ。そこをね! そこをもっと見たいんですよ!!!!

護道さんも「兄は京吾だけ」とか言いながら、戸惑いも感じながら、ともに41年前の真相を突きとめた「兄」を頼もしく、大事に思っている部分もあるはずなのだ。

そんな兄弟のいろんな感情をもっと見たいわけ!!! 最終回のラスト10分はすごくよかったけど、あれでは足りないわけ!!! もっと「兄弟」としての彼らを見たいわけ!!!(壁に頭を打ちつける絵文字)

これからは皆実さんも「家族に会いに来ました」という理由でなんぼでも来日できるじゃないの! 墓参りでもなんでもいいからちょくちょく来日して事件に巻き込まれてくださいお願いします!!

 

最後は素直な欲望を垂れ流すだけの記事になったが、とにかくとても楽しい10話だった。製作にかかわったすべての人に、ありがとう。次があることを祈って、本日はおしまい。

 

 

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