一見して、これは批判もありそうな作りだと感じた。だが彼らのやろうとしたことは、それはそれで意義があるとも思う。わたしも番組を見ながらいろいろ考えさせられた。今日はそこのところを少し考えてみたい。
Watch episode 11 of #TheGrandTour 'Feed The World' this Friday on https://t.co/dRMlixT2wB pic.twitter.com/XgNsX1iqDm
— The Grand Tour (@thegrandtour) 2018年2月14日
持続可能な支援
まず前提として、昨今の貧困国への支援は「持続可能性」が重視されるようになっていることは周知のとおりだ。たとえば金のある個人や企業や国がドカンと食糧や物資を投下してしまうと、その地で食糧や物資を作ったり販売したりしていた人たちから仕事を奪い、場合によってはその仕事のノウハウさえ失われてしまう。
そういうことを避けるため、その国に生きる人々のもとの暮らしを損ねない形で、より質の高い生活を維持できることを重視した支援をしましょう……的な考え方がかなり浸透しつつある。一回だけ支援して満足して帰るのではなく、経済や環境などの状況を包括的かつ継続的に調査しながら支援するようになってきている。
……という視点で今回の企画を見ると、魚を一度だけ運んで終わりというのはなんとも前時代的な「支援」であるように思えた。
だが、そういうことではなかったのだ。
問題の指摘と共有
三人はモザンビークの首都マプトから、内陸の町ビンゴまで魚を運ぼうとした。
海に近い町は魚が豊富に獲れ、また道路状況も悪くない。だが道を進むにつれ、道路状況はどんどん悪くなっていく。
マプトからビンゴまでの距離は320km。東京から琵琶湖までの直線距離と同じくらいだろうか。決して近くはないが、一日で運転できない距離ではまったくない。
だが彼らはこの旅に三日費やした。そこにどんな困難が横たわっているのか、三人は身をもって示してくれた。
ろくな保冷機能もない状態で移動に三日もかかれば、当然ながら魚は腐る。
だからこそ誰もやらないのだ。ビンゴまで魚を安定して運べるようになれば、きっと需要はある。だがそれは商売としてはおそらく成り立たない。それを成り立たせるためには、まず道路の整備から始めなければならない。それから保冷機能のある車の普及も。
そしてこれはビンゴに至る道だけの問題ではない。おそらくモザンビークという国全体の、それどころかあらゆる途上国に共通の問題かもしれない。少なくともわたしはそういう状況を想像した。
まともな道がないということは、その道を使った商売を安定して継続できないということだ。つまり一度だけ魚を届けることができても、その事業には持続可能性がないということである。
三人はこの番組で、この問題点の指摘と共有をはかった。ドキュメンタリー番組ではなく、莫大な視聴者数を抱える「エンターテイメント番組」の中で。このことの意義は非常に大きい。きっと普段はそういう問題に目を向けない層、それも若い層に、漠然としたものであったとしても何らかの問題意識を植え付けることができたのではないだろうか。
ヘリコプターの意味
最後に三人はヘリコプターでビンゴをあとにする。
あのヘリコプターで魚を運べばよかったのにという批判がきっとあるだろう。
実際、おそらく(魚ではないとしても)何らかの形で撮影協力のお礼があのヘリコプターによって運ばれてきたのだと想像する。だが番組はその場面を放送しなかった。
まずヘリコプターによる物資輸送には、持続可能性がない。番組もビンゴを今後ずっと支援し続けることはできないだろう。それを彼らもわかっているはずだ。
ヘリコプターによる輸送が持続できるのは、その輸送にかかるコスト以上の儲けがあの土地の市場で生み出せるようになったときだ。当面は無理だろう。
つまり番組としては、ヘリコプターで物資を運んでいたとしても、それは「撮影協力に対するお礼」以上のもの、つまり「支援」にあたるようなものではないという理解だったのだと推測する。
そしてもう一つ。三人はいわゆる「感動ポルノ」を報道したくなかったのだと思われる。
今回ジェレミーは繰り返し、チャリティ番組を揶揄することを言っていた。芸能人のチャリティ活動にも意味があるものもあるのだろうが、持続可能性について考慮されていないことも多く、それどころかもともとの住人の生活を破壊してしまうことすらある。最初に書いたとおり、住人から仕事を奪ってしまったケースである。
なぜそのような安易なチャリティ番組が作られるのかといえば、安易な感動を好む視聴者がいるからだ。そうやって作られるのが、最近炎上しがちな、いわゆる「感動ポルノ」である。
三人は「感動ポルノ」のアンチテーゼとして今回の番組を作ったのではないだろうか。
もし番組の最後に、ヘリコプターで運ばれた物資がビンゴの人たちに届けられるシーンが放映されていたらどうだろう?
きっとわたしたちはいい気分で番組を見終え、そしてすぐに忘れてしまう。「感動ポルノ」としてこの話を「消費」し、それで終わりにしてしまう。視聴者の心に引っ掛かりを残さずに。
「エンターテイメント」としてはかなりギリギリのバランスだったように思う。
三人のドタバタの旅を純粋に楽しめたという人もいるだろう。魚がもったいなさすぎて楽しめなかった人もいるだろう。ちゃんと支援して帰れという人もいるだろう。
だが今日一日で、モザンビークの現状とあの国の抱える問題は、圧倒的多数の人に拡散された。昨日よりもはるかに多くの人に問題が共有された。きっと「グランドツアー」にしかできない方法で。
わたしはそこに意義を感じた。
もっとちゃんと支援しろと感じた人はぜひ、ではどのような形での支援があの国に対して有効なのかを真剣に考えてみてほしい。そして自分には何ができるのかということまで考えてもらえれば、番組としては本望なのではないだろうか。
魚に話しかけるジェームズかわいい
なんだかいつになく真面目に語ってしまったのだが、それはともかく今回、魚に話しかけるジェームズがかわいすぎた。ジェームズは動物大好きなのに動物に嫌われがちで、今までにもさまざまな番組でたくさんの動物に話しかけては嫌われてきた。
魚に対して "mate" と呼びかけるかわいさ!
手の上にのせてカメラに見せようとするかわいさ!
それを取り落として "Sorry mate, sorry!" と謝るかわいさ!
"acebiscuits" と書かれたシャツのかわいさ!
何なのこのかわいい55歳は!
大事に運んでいた魚が全滅してしまったときはわたしも悲しかった……。でも結局あれも「この話をただ消費して終わりにされたくない」というメッセージだったのかな、と思ったりする。