S1最終回を見てからしばらく時間がたってしまったが、「TRUE DETECTIVE」S1についてネタバレの感想や考察を書いてみたい。
【ネタバレなしの感想はこちら】
過去と現在とその救済「TRUE DETECTIVE」S1感想 - なぜ面白いのか
風景の美しさ
まず、前回触れそこなったロケシーンについて書いておく。
このドラマはロケシーンが多い。
舞台はルイジアナ州で、その地で撮ったと思われる風景がよく出てくる。
自然が多い。
何もない「野原」が多い。森も多い。たまに空撮が挟まれる(特に最終回の低空からの空撮は息を飲む美しさだ)。
日本ではあまり見ない風景である。
時々水辺のシーンもあるが、これも日本の水辺の風景とは異なる。
アメリカ南部には行ったことがないが、おそらく水や草の匂いも日本とは違うのだろうと思わせる撮り方だ。
ただ、自然がただ美しいだけではなく時に不気味に感じられる。
まず作中で登場する「自然」にはあまり人の手が入っていない。
奇妙な話だが、人が好む「自然」には人の手が入っていることが多い。
「自然が好き」だと言う人が好きなのは、きれいに手入れされた庭だとか歩道の整備された森だとかである。
はてなブログにおける今週のお題は「植物大好き」だそうだが、投稿された記事を眺めると、やはり人の手によって管理された「自然」や「植物」を愛する人のものがほとんどだ。
虫がうようよいたり、うっかりすると蛇を踏んでしまったりするような「自然」を好む人はあまりいないのだ。
作中で撮られたのは後者の「自然」が多いように思う。
もちろん撮影スタッフの目が入っている以上完全な「自然」ではありえないのだが、それでも必要以上に「きちんと」した「自然」ではない。
「自然」は本来恐ろしいものだ。人にとって害になるものも多い。
そして「きちんと」していない。
日本で生活しているとあまり見ない「自然」に、そんなことを思わされた。
また画面にあまり明るさがない。「まぶしさ」や「あたたかさ」を感じさせない。
少し黒いフィルターをかけて撮影しているのかもしれない。
作品全体のトーンを考えてのことだろう。
「秩序」と対をなすものとしての「自然」の意味もあると思われる。
広い畑の中に放置された死体や森に隠れ住む娼婦たち、そして事件の「犯人」。
それだけではなくあの地に暮らす者たちのうち、警察関係者以外のほとんどに「秩序」を感じない。
彼らは「秩序」の外に生きているように見える。
きちんとした服装をしてきちんとした仕事につき、法を犯さず、他者に対して誠実に日々を過ごす――みたいなものが近代的な秩序ある生活だとすれば、あのドラマの登場人物の大半はその外に生きている。
「警察官」という世界に秩序をもたらす側のはずの人たちまでが。
マーティンも浮気をしているし、ラストも現在の方では自ら秩序の外に出てしまっている。
自然の美しさ、その雄大さは同時に、そこに生きる人々の性質を語っているのではなかろうか。
犯人の生活も秩序とは程遠かったが、その彼が「芝刈り」という「自然の秩序化」を生業としているのは皮肉な配置である。
取り戻された秩序
とはいえ、物語の最後には主人公たちが秩序を取り戻すことが示唆されていた。
最終回、あの神殿のような建物を二人が歩くシーンはかなり長かった。
最終回という重要な回で、無駄なシーンに割く時間的余裕などないはず。
しかしそれでもあのトンネルのような道のシーンはかなり尺をとっていた。
製作者にとってあの長いシーンは必要であり重要な意味があったのだろう。
ここにどんな解釈が加えられるだろうか。
ありがちな話ではあるが、あの「トンネル」は一種の「産道」であり、ラストとマーティンは「生まれなおした」のだという解釈は可能だ。
トンネルから出たラストが見た、空の見える吹き抜け。あれが「子宮口」というわけだ。
あのトンネルに女性の持ち物が散りばめられていたのも意図的だろう(女性の死体らしきものも散りばめられていたが)。
話が現代編になって以降、ラストが死んで話が終わるものだとばかり思っていた。
彼はずっと、亡くなった娘のことを忘れられないまま生きていた。
事件を解決して少女たちを救っても、彼の娘は戻ってこない。
彼が救われるのは死ぬとき以外にないのではと考えたのである。
だから彼が刺されたときはやっぱり! と膝を打ったものだった。
「産道」を通って生まれなおし、その先にある死に至る。悪くない終わり方だと思った。
しかしそうではなかった。
ラストは生き延びた。
「俺はかつて俺が愛したものの一部」だと感じながら。
つまりラストは自分自身を赦し、救うことを許したのである。
無意識のうちに「ここまでやることができた」と自分を認められたのかもしれないし、「もう十分に罰を受けた」と思えたのかもしれないし、もっとほかの形で言語化できるかもしれない。
しかしいずれにしても彼は「光」を見ながら生きていくことに決めたようだ。
ラストとマーティンによる星の話はわかりやすい示唆である。
ラストが語ったのは「光」対「闇」の物語。
夜空を見上げ「闇の方が領土が多いようだ」と言うマーティンに、「以前は闇一色だったが、今は光が多い」と返すラスト。
今の彼に見えている世界には「光が多い」のだとしたら、やはりその先に希望を感じることができる。
彼は今後も娘のことを忘れないだろう。
だが今後娘を思い出すとき、彼が感じるのは痛みだけではないはずだ。娘からの愛や優しい思い出とともに生きていくことができる。
ラストは本当の意味で生まれなおすことができた。
そしてようやくマーティンと心を通わせられる関係になれた。
ここまでの救いある物語だとは思わなかった。
「TRUE DETECTIVE」は17年間にわたる物語だとよく言われるが、実はそれよりずっと長い期間に渡ってラストを蝕んでいた「闇」を払う物語だったのである。
ところで星、あるいは夜空は「自然」の一部だと言えるだろうか?
おそらく人間にとっては「自然」の一部だと言えるだろう。
そして現在のところ大部分を人の手で管理することの不可能な「自然」だ(環境によって星が見えづらい・見えやすいことはあるが)。
地上には混沌と秩序があり、空に物語と救いを求める。
文明というものが地上に誕生して以来、きっとこのことは変わっていない。