なぜ面白いのか

見たもの触れたものを保存しておく場所。映画、ドラマ、ゲーム、書籍の感想や考察。

エデンとリンゴとヘビたちの物語「ペルソナ5 ザ・ロイヤル」クリア後感想2

マイパレスのギャラリーが素晴らしい

昨夜、P5Rクリア直後の乱れた心で感想をあれこれ書きなぐった。

その後ほかの人の感想を読んだり、喪失感を埋めるべく(?)ピザバイキングに行ってはちみつドバドバのピザを食べまくったりして、ちょっと心が落ち着いてきた、かもしれない。

しかし読み直してみると、やはり昨夜の感想ではあれこれ書ききれていない感が残っている。まだ書きたいことがいろいろあるので続きを書くことにする。

そんなわけで、もしこちらの記事を先に開いてしまった方は先に前回の記事からどうぞ。あと何もかもネタバレしているので、ロイヤル未クリアの方はクリア後にまた来てね!

nazeomoshiroi.com

初回記事はこちらから!

nazeomoshiroi.com

 

I DECIDE THE TRUTH

 

丸喜先生のエデン

前回記事で丸喜先生について延々と書いたのだが、まだ全然書ききれていないので続きを書くよ。

まず、前回わたしは「すみれは留美の代替」と書いた。

丸喜先生は留美のそばに留まることはできない。留美は丸喜先生のことを忘れているし、仮に記憶が戻るようなことがあれば再び苦しむことになる。だから記憶が戻るきっかけになりかねない丸喜先生は彼女から離れるしかなかった。

かわりに丸喜先生がそばで救おうと執着したのが、すみれである。すみれの物語は、丸喜先生にとって彼女が留美の代替であるからこそ意味がある。

たしかにすみれはかすみを失った直後にあの逃避行動をとれなければ、今よりもずっと悪い状態になっていた可能性が高い。そのことは彼女自身も自覚していて、「あの時間があったから今があるので丸喜先生に感謝してる」と話していた。

だが彼女は「だからこそすみれとして前を向いた私を見て先生に考えなおしてほしい」と続けるのだ。これを「疑似留美」であるところのすみれに言わせる意味よ。

留美だって、丸喜先生が「曲解」を使わなくても、むしろ丸喜先生が何もしなかったとしても、今頃自分で立ち直ってたかもしれない。丸喜先生の「曲解」は、相手からその機会を奪う。機会、可能性、選択肢、何と表現してもいい。全部なくなってしまう。だからこそ、否定されなくてはならない。

まあ、それは機会、可能性、選択肢が「ある」前提での物言いだということもわかっている。実際にはそんなものが「ある」とは言い難い状態で苦境に置かれている人がたくさんいるのもわかっている。丸喜先生の曲解がなければ、留美は実際には今も入院したままだろうとも思う。誰もがすみれのように短期間で立ち直れるわけでもない。誰もが鞘くんのような理解者を得られるわけでもない。

「曲解」を使うかどうか選ばせてくれるなら、使う方を選ぶ人だって少なからずいるだろうとも思う。ある意味で、SNSって「曲解」の具現化みたいなものだしね。人間の認知機能を簡単に操作できる。自ら望んで認知を操作されたがる人の例なんて簡単に見つかる。

とはいえ、そんなことは百も承知の上で、「ここまで100時間以上怪盗団メンバーそれぞれの悩みも葛藤も成長も見届けてきたプレイヤーたるこのわたし」は、「鞘くんにそのすべてを否定する結論を出させる」ことはできないわけ。これは「こういう物語」だから。

あと身も蓋もないことを言うと、たぶん丸喜先生の創った理想世界は、早ければ半年くらいで破綻しそうなんだよな。最大限延命したとしても、丸喜先生が亡くなったらおしまいだよね。そうなったら世界の混乱は収拾がつかなくなりそう。

丸喜先生は集合的無意識に働きかけることによって世界を創り変えたわけだけど、集合的無意識なんてそんなに理路整然としてるものでもないし、個々の人間の希望は相互に利益相反するようなことが多いでしょ。

AがBと付き合いたいという希望がかなった世界では、BはCと付き合う希望をかなえられない。Dの出世がかなった世界では、同部署のEの出世はかなわない。すべての人の希望をかなえることは不可能だ。両方の認知を操作して、両方ともうまくいってるように認知させることができるのかもしれないけど、そんなもん絶対短期間で破綻するでしょ。丸喜先生はすみれに対してはそばで「曲解」の効果を確認し続けられたけど、全人類に対してそんなアフターフォローができるわけもなし。ワンオペで維持できるシステムじゃないのよ。

だから結局、丸喜先生の提案に対しては実質的に否一択だったのだと思っている。

 

 

丸喜先生のリンゴ

丸喜先生について、もうひとつ書いておきたいのはこれ。

丸喜先生がカウンセリング時にたびたび飲んでいるりんごジュース。鞘くんと同じカップのグラフィックを使いまわしたっていい場面なのに、わざわざ工数を割いて別オブジェクトが実装されている。しかも「りんご」という神話的にも心理学的にも意味ありげなアイテム。絶対に意味があるはずだと思っていたのに、昨日は書き忘れていた。

りんごとは当然ながら、エデンの知恵の実のことだ。人類はこれを食べることによって「知恵」に目覚め、自我を得て、楽園から追放され、苦難と死の待つ生を歩み始める。

今作において、それは端的にペルソナ能力の目覚めという形で表現される。

丸喜先生は鞘くんたちと会ったときには既に、部分的にではあるけどペルソナ能力に目覚めていた。留美の認知を「曲解」で書きかえた後に秀尽学園に来たわけだから。つまりあのりんごジュースは、丸喜先生が「知っている」し「目覚めている」ことの暗喩だったと考えるべきか。

同時に、丸喜先生はパレスの中に「エデン」を持っているのに、自分自身はその「エデン」に存在できないという矛盾や悲劇性の象徴なのかもしれない。知恵の実を食べてしまった丸喜先生は、幸福な楽園に留まることはできない。理想の楽園世界に生きる人たちは丸喜先生のことを忘れてしまう。丸喜先生が彼らとともに幸せに生きることは不可能だ。

書いてて改めて思ったけど、ひどい話だよ(誉め言葉)。

やっぱりね、怪盗団は丸喜先生を「改心」によって「救う」ことができてよかったと思うよ。これでもう、丸喜先生は孤独から解放されるはず。自力で手放すことができなかった執着心からも解放されたはず。

前回感想でも書いたけど、みんなに「リンゴを配る=無知から目覚めさせる」ヘビの役を担うのが鞘くんであり、明智くんであり、怪盗団のみんなであるというのが、ピカレスクロマンの結末として最高だなって。

 

 

珍しい造形のラスボス

これまで戦ってきた「クソな大人」たちと違って、丸喜先生は100%善意の人だ。そこをもって「ラスボスとしては珍しい造形」という感想を抱く人もいたかもしれない。

ただわたしはそこではないポイントがツボに入った。丸喜先生って何度も謝ってくるのよね。「ごめんね」って。鞘くんたちが丸喜先生の創る世界を望んでいないと理解して、それでもやらなければならないと思っているから。

たぶん、「改心」の前にほとんどわかってたんだろうな。「これは善意の押し売りだ」って。「クライアントに同意もなく強制実装なんて絶対アウトに決まってる」って。「このインフォームドコンセント徹底の時代に、パターナリズム全開の行動はアウトすぎる」って。あと「この世界を破綻なく維持し続けるのはめちゃくちゃ難しい」って。

だからこそ、100%善意で「良かれと思ってやっていること」なのに「罪悪感」を抱いている。それがあの謝罪連発につながっている、とわたしは解釈した。

 

もうひとつ。ラスボス戦後の鞘くんと丸喜先生の一騎討ちのシーン。正直、第二形態の丸喜先生を倒してパレス崩壊が始まったのを見て、「あとはエンディングだな」と判断しておやつを取りにいったりしていたので、「まだ戦闘あるの!?」と焦ったわけだけど。

そのときの丸喜先生のセリフが、わたしの中ではラスボスのセリフとして前代未聞だった。「ここで君に勝負を挑んでも、きっとまた負けるんだろう」って。そうかあ、って思っちゃった。それを口に出すラスボスは珍しい。まあ、わかるよね。自分のすべてを使い果たした第三形態まで敗れたのだから。

あと丸喜先生は「社会人」だから。「社会人」なら、これだけプロジェクトの穴を指摘された上にプロジェクトに必要な諸々をボコボコにされたなら「もう無理」って認知にもなるよ。

それでも立ち上がるんだよね。「未練を、断ち切らせてくれ」って。「未練」だって自覚もあるんだね。それは断ち切るべきものだって自覚もあるんだね。

そらそうよ、だって考えれば考えるほど、丸喜先生自身が、マルキパレスの中で「要治療」とされる人だもの。めちゃくちゃ自己矛盾してるもの。「気がつかないように生きてきた」じゃないんだよ、気がつきなさいよ、あんた子供を守る大人の立場だろうが!(マジ説教)

やっぱり丸喜先生は大学から離れるべきじゃなかったと思うんだよな……。同じ視点から研究について、守るべき子供たちについて語り合える同僚か、指導者が必要だったんだよ。せめてインフォームドコンセントの原則を思い出させる誰かは、絶対に必要だった。やはり認知訶学研究を潰した獅童がクソ。

 

 

芳澤すみれとサンドリヨン

すみれの叙述トリックにはやられたな! わたし、記事中でもずっと「かすみちゃん」と呼んでたもんね。

すみれのスマホの調子が悪かったのは、ゲームの都合的には2学期の時点でマルキパレスが誰のパレスなのか不明にしておくため。

そして物語的には、すみれがかすみを演じる上で不都合が事実を認知できない状態にあったため。「芳澤すみれ様」宛のメールとか、宛名の部分だけ認知できないようになってたんじゃないかな。

ずっと不穏だったスマホの不調の意味がわかってスッキリと同時に怖!! と思ったね。

 

すみれの初期ペルソナはサンドリヨン、すなわちシンデレラ。これも最初に見たとき、ちょっと不思議だった。シンデレラといえば「魔法によって本来の姿とは異なる姿になる」話。それが「ペルソナ」でいいの? って。仮面の上にさらに仮面つけるみたいになってない? って。まさに仮面の上にさらに仮面をつけてたわ。

「12時になったら解ける魔法」は、やはりトリックスターたちの手によって解けてしまった。所詮はかぼちゃの馬車だった。この「魔法使い」は魔法が解けてからのアフターケアもしようとしてくれていたが、結局すみれは「本来の自分」で勝負することを選ぶ。

「親しい人の死に向き合い、今までごまかしてきた自分の本心とも向き合い、自我を得て成長する」すみれの物語は、ペルソナ3のテイストにいちばん近いかもしれない。

弱い自分への反逆であり、「魔法使い」への反逆である点はペルソナ5のテーマを引き継いでおり、自分の道は自分で決めるという、ロイヤルのテーマの体現者でもある。

 

 

エンディング:それぞれ旅立ちエンド

「バッドエンド」が「みんな一緒」エンドだったのに対して、丸喜先生を倒した後のエンディングは「それぞれ旅立ち」エンドだった。よい対比だ。

正直鞘くんは高校卒業まで東京にいた方が、人間関係的にも受験環境的にもいいように思うのだが、それでも帰ることを選んだんだな。ペルソナシリーズも「行きて帰りし物語」だ。

地元に帰れば再びいろいろな困難がありそうだが、今の鞘くんならそれも成長の糧にして前に進んでいけるはず。Forge ahead だぞ鞘くん。

もしも不安を感じたら、残された手袋に触れてほしい。「まだ決着はついてない」って思いだしてほしい。もう会えないからこそ、永遠にお預けにされているからこそ、それを支えにしてほしい。

そして、SNSから友人たちに連絡をとってほしい。昔は転校といったら一生の別れも同然だったけど、今なら互いにその気さえあれば簡単につながっていられる。真ちゃんは免許もとったし、会いに行けるんじゃないかな(というかあれだけのミッションをこなしながら受験と免許取得をクリアした真ちゃんと春ちゃんがすごすぎる)。

もし個人ではどうしようもないような不当な扱いを受けたら、世紀末覇者弁護士に連絡して「法廷で会おう!」案件にすればええんや。名刺をもらったし。ていうかいつお義姉様にご挨拶すべきなんだろうな。2月15日に冴さんから「昨日はさすがに本命がいるだろうからって思って」とチョコを渡されたとき、「その本命は妹さんです」と言いたかったのだが。

 

ラスボス戦後、「あるべき現実」に戻ったら鞘くんが逮捕されてたのには噴いちゃった。かくも現実は厳しい。

クリスマスの時点で、自分が逮捕されず、明智くんが逮捕されてほしいというのが鞘くんの願いだったのかな。そりゃそうだよな。最初から鞘くんは犯罪になるようなことはしていないし、一方の明智くんは大量殺人犯だ。どう考えてもムショ入りすべきは明智くんだ。

ただこれって、鞘くん「だけ」の願いでもないような気がしている。怪盗団的には全会一致で明智くんに罪を償ってほしいと思ってただろうし、たぶん冴さんも同じだろう。前の記事でも書いたとおり、明智くんに死んでほしいと思っていた人はいなかったはず。明智くんにいろいろな意味で未練を感じていたのは鞘くんだけではなかったはず。

「だから」じゃないのかな。「曲解」が最初に蘇らせたのが明智くんだったのは。怪盗団と、その周辺の人間関係、すべてが鞘くんの無罪放免を願っていた。たぶん丸喜先生自身も。だから、そのとおりになったんじゃないのかな。真ちゃんとクリスマスを過ごし、忘年会をして、平和に年を越すことができたのは、鞘くんひとりの願いではなく、「みんなの願い」だったのだと思う。だから真っ先にかなった。

で、鞘くん逮捕がなくなって満たされた年明けを迎えると、今度は明智くんに対して「約束を果たせる機会があれば」という別の希望が出てきて、それがかなったから釈放になったとか。あるいは単に警察の機構が「曲解」によってめちゃくちゃになって、本当にまったく機能しなくなっていたのかもしれない。

やはり丸喜先生の世界、半年ももたずに破綻していたのでは。卒業式までもったのが奇跡のように思える。みんなから「痛み」が取り除かれるなら、犯罪も起こらなくなって警察機構も不要になるってことかな……。しかしそうなると今度は大量の失業問題が……。わたしの能力で丸喜先生の理想世界を実現しようとすると、何をどうしても破綻するんだよ。

 

話がそれたけど、とにかく怪盗団と、その周辺の人間関係、すべてが鞘くんの無罪放免を願っていたのは、エンディングからして間違いないわけ。あの演出はよかったね。「特別な力とか異世界とかなくても、現実は変えられる」って杏のセリフが本当によかった。この荒唐無稽な物語が、こんなにも地に足をつけた着地をみせるんだって。あるべきジュブナイルの姿だよ。

1月は鞘くんがみんなに声をかけて丸喜の創った「現実」から解放した。

2月には、みんなが声をあげて鞘くんを解放した。

このきれいな対比。本当に美しい。

1月14日に竜司が鞘くんに「丸喜の現実に飲まれたこと、今まで乗り越えてきたものを『なかった事』にしたこと」を謝ってきた。似たような感情は怪盗団のみんなが持っていたはず。だからこそ、2月にみんなが鞘くんを解放する流れが活きた。

そして、みんなが「単なる今の延長」ではなく「自分の意思で選んだ未来」を実現するべく前に進んでいくエンディング。

例によって竜司がわかりやすく話してくれている。「丸喜先生の現実がなかったらこんなふうに思わなかったかも」って。無印P5のエンディングとP5Rのエンディングは違っているらしいけど、その違いはやはり丸喜先生の影響の有無なのだろう。わたしはロイヤル版のエンディングがとても気に入っている。

 

 

ジョゼとは何だったのか

いまいち味気ないメメントスの探索を多少なりとも楽しくしてくれたジョゼくん。「ホシ」のおかげで戦闘のサクサク感は増していったし、最後にモナをヘリにしてくれた。スタンプ集めのおかげでレベル上げもサクサクだった。

3学期になってからスタンプ集めを本格的に始めて、「瞬殺」を解禁し、バスでシャドウを轢きまくりながらメメントス全層を周回した。そしたらスタンプを全部集める前にレベルが99になってしまい、ジョゼも満足してしまった。おかげでマルキパレス攻略はサクサクであった。

しかしあの人工物っぽい見た目のかわいい少年が何者なのか、最後までよくわからなかった。戦って勝ったら情報開示してもらえるのかと思ったのに、だいぶはぐらかされてしまった。人間に語れる言葉を持たないのかもしれない。

ジョゼくんは目の色や言動からして、イゴールあるいはラヴェンツァたちに近い存在だと思っている。人外で、この世のものではなく、しかし人間を知ろうとする存在。

ラヴェンツァが鞘くんに「おつかれさまです」と挨拶し、「これが人間の挨拶の常套句のはず…」と、ジョゼくんと同じことを言っているのが気になった。つまりラヴェンツァとジョゼくんは知り合いか、もしくはラヴェンツァとジョゼくんは同じ人から「人間の挨拶の常套句を教わった」のどちらかの可能性がある。教えたのは現代日本の大衆事情にある程度精通している人だな。

そういうわけでラヴェンツァとは近い存在なのだと思うけど、イゴールやラヴェンツァと比べても、見た目が人工物すぎるんだよな。ロボット感というか。どうもピノキオがモチーフらしい。でもピノキオと違って「人間になりたい」ではなく「人間を知りたい」なんだよね。

鞘くんたちと戦ったジョゼくんは、結局人間のことがさらにわからなくなってしまった。が、「人間はわからないから面白い」という結論に至ったらしい。で、「これでいつでも『あの人』のところに帰れる」ときた。誰だよ「あの人」って! アゼムか?

「『あの人』は厳しくて、でもとっても優しい」らしいが、名前は明かされない。過去作とのつながりや、次回作の予告なのではないかという推測を見たものの、決め手に欠ける。

どれも決め手に欠けるのだが、イゴールの世代交代の示唆説はありえそうな気がする。個人的には「ペルソナ3」の主人公がイゴールを継ぐ説が好きなのだが。キタローくんのビジュアルをそのまま使うのでなくても、ベルベットルームの主がどんな存在に交代したとしても、声が石田彰なら誰からも文句が出ないのではないかと思っている。そういうわけで「あの人」がキタローくんだったらいいな、という個人的な希望は持っている。

でも「わからないことはわからないままに受けとめる」のがいちばんスマートかな。

P5Rはこの形で完成していて、この形で閉じてよい。次回作で何か新情報が出たら、そのとき改めて考えればよい、ってことで。

 

うーん、これで語りたいことは大体語ったかなあ。

わたしの感想としては、無印部分のラスト(と思われる部分)よりも3学期の方が好みだったのは間違いない。もちろんわたしはロイヤル版が初プレイなので、無印部分のラストは最初から「通過点」のつもりだったし、すべての物語が3学期に向けて収束しているというつもりでプレイしていた。だから無印プレイヤーの受ける印象とは全然違っているのが当たり前だ。

ただ前々回の感想記事にも書いたとおり、わたしにとってはメメントス最下層の真実は「ですよねー」と「ちょっと不正確では?」という感じだったし、大衆の怠惰から生まれた神がそんなに強いわけあるかよと思っていたし、大衆が怪盗団を応援する演出も「自分以外の誰かに何とかしてほしい」程度の気持ちだろと思っていた。

なので鞘くんたちの成長ぶりには微笑ましく思いながらも、シナリオのまとめ方としては「なるほどね」くらいのテンションだった。まあ、本当に「通過点」のつもりだったからなあ。

ヤルダバオトに比べると、丸喜先生はラスボスとしてのキャラが立っていたし、怪盗団の前に立ちふさがる動機も必然性も理解できたし、どちらにも一定の正当性と一定の反論が可能な、真の意味で対等な「敵同士」の描写ができたという意味で、わたしの軍配が上がる(ヤルダバオトに対しては「イゴールこの野郎」の時点がピークで、あとは「だんだん小物感出してくるじゃん」な印象だった)。まあこれは完全に好みの問題だ。

とにかく彼らの1年間を追う毎日は本当に楽しかったし、彼らと一緒にわたしも笑ってた、泣いてた、怒ってた。

笑ってた、泣いてた、怒ってたといえば、さっきエンディング曲の歌詞を見て無事寝込んだ。そうか、鞘くんはそこまで明智くんのこと……。

いや、鞘くん視点だけの曲ではないのはわかっている。あれは幸せな世界を手放すことを選んだ全員の曲だ。特に真ちゃん、双葉ちゃん、春ちゃんのように、死者の復活を一度はかなえた人の視点ならぴったりあてはまる。

でもやっぱりわたしにとってあれは鞘くんの曲だ。二度と会えない「友ではない君」の決断を尊重し、残された者として、今日を明日に向けて歩いていく歌だ。

 

これで多少、気持ちが整理されてきたかな……。

先日のセールで「メタファー リファンタジオ」を入手したので(情報解禁からずっと楽しみにしてほしいものリストに入れていたというのに、体験版はおろか発売日に全然P5Rが終わってなかったよ!)、近々始める予定である。

P5S(スクランブル?)とかいう続編? もあると聞いて、それもいつかやってみたい気もしている(ほしいものリストに入れる絵文字)。しかし「バルダーズゲート3」以降、すべてのゲームスケジュールが後ろ倒しになっているので、いつになるやらである。

ひとまずP5Rの感想はこれにておしまい。

お付き合いいただいた方、どうもありがとうございました!

 

nazeomoshiroi.com

nazeomoshiroi.com