本編一通りクリア! ようやくネット解禁である。
プレイ中、このエンディングは賛否両論だろうと思ったが、やはりそのようだ。ゲームに何を求めるかというのは人それぞれで、ファンの規模が広がるほどさまざまな層が手に取ることになる。結果として「こういうエンディングを面白いと思えない」ファン層のところまで広がっていたのだな、と思って眺めている。
わたしですか?
わたしは初回の感想から繰り返し書いているとおり、ダンガンロンパシリーズに求めるものは一貫している。すなわちここでしか味わえないレベルの製作者の悪意である。そしてその悪意が、キャラクターの頭を飛び越えてプレイヤー自身に向かって直撃するところが最高にいいと思っている。
わたしは、人が救いのない形で死んでいく様子を、人同士の疑心暗鬼と裏切りを、フィクションの壁一枚隔てただけで、エンターテイメントとして楽しく消費してしまえる悪趣味きわまりない人間だ(このブログのカテゴリ一覧を見ればそれがよくわかると思う)。このゲームはそんなわたしの欲求をたっぷり満たしてくれた。
しかも1・2の内容を踏まえて「次」の段階に行こうとしている。見せ方も非常に丁寧でわかりやすく、しかも2周目をやって確かめたいと思わせるものだった(当面はおまけモードをやってみるつもりだが)。
ただし明らかに万人向けの作品ではない。1がすでにそうだったように。これは「人が救いのない形で死んでいく様子を、人同士の疑心暗鬼と裏切りを、フィクションの壁一枚隔てただけで、エンターテイメントとして楽しく消費してしまえる悪趣味きわまりない人間」にとっては極上のゲームだが、そういう自覚のない人向けではない。もし購入を迷ってこのページを開いた人がいるのなら、きっとあなたのためのゲームではないからやめた方がいいと言っておく。完全に自覚的に、悪趣味なことを自分の意思で積極的に選択して行える人以外は、オチを受け入れられない可能性がある。描写が丁寧なだけに、なおさら。
以下、本編全体のネタバレ感想。1章から読みたい方はこちらから。
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今回のテーマは不確定性
5章感想では6章の展開を予想できていなかったため「不確定性」という言葉を避けて「確定不可能性」というタイトルをつけたが、クリアした今ならこの言葉を使ってもいいと思える。今回のテーマは「不確定性」である。「嘘」と「真実」はそのテーマを支える要素の一部だ。
特に90年代以降のエンターテイメント業界では割とメジャーなテーマであるため、それ自体にそこまで目新しさはない。というか、1も2もテーマはそれぞれ「希望」「未来」だったが、オチはいずれも「不確定性」にあった。どの作品も「見せ方」によって、そのテーマを面白い形で完成させていたのだと思う。
(1では「外の世界が実際にどうなっているのか」「生き残りメンバーはこれからどうなるのか」が不確定だった。2でも同じく「生き残りメンバーはこれからどうなるのか」が不確定だった。物語を確定させず開いた状態で終えることで、逆にダンガンロンパのシナリオは完成度を高めたと思っている。だからこそアニメでそこを確定させてしまったことについては不満なのだが。)
今作はそれをさらに突き詰めた形だ。もはや何もかもが不定である。数学的意味での「不定」であると言ってもいいくらいだ。
5章では「犯人」と「被害者」の不確定性がテーマとなった。このテーマがそのまま規模を大きくして6章につながっている。つまり「犯人」「被害者」だけの話ではなく、「世界観」「舞台」「キャラクター」「首謀者」「黒幕」「結末」すべてが不確定である。5章は6章のための伏線、(プレイヤーの心構えの)下準備だったことがわかっていないと、6章のオチを唐突だと感じてしまうかもしれない。
そして1や2と同じく今作もやはり、この不確定性ゆえにシナリオは完成している。しかも圧倒的に過去作よりも尖った形で。今度こそこの「ゆらぎ」を確定させてほしくない。せっかく5章から丁寧に「不確定性」や「ゆらぎ」の面白さを描写してきたのだから。とはいえこの世界観で続編を作るなら、それはそれで見てみたいとは思うが。
そしてこのような、捉え方によっては難解なオチを選択できる製作者は、プレイヤーのことを非常に信頼していると思われる。1や2の不確定性を理解し許容できるプレイヤーなら、これもいけると思ってもらえたというわけか。国内では受容者の知性をバカにしたような作品も少なくないなか(ゲームに限った話ではない)、商業作品でこんなオチにGOサインを出せる企業に対して感服するよりほかない。信頼してくれてありがとう。
次回作への期待
1が「希望」に続く形で終わり、2が「未来」に続く形で終わり、しかもあれだけの完成度の作品に仕上がっていた以上、次に放たれるのはどんな物語なのだろうとずっと思っていた。どうすれば次回作を作ることが「可能」になるのかと。そうしたら、今回は「希望」も「絶望」も選ばないという結論。製作者の悪意が大量にこめられているのはもちろんだが、ぬるい続編ならいらねーよ! という強い決意も感じた。こういう姿勢なら、まだまだシリーズを続けられる。
はっきり言ってしまうと、「絶対絶望少女」やアニメがわたしにとっては「ぬるい続編」だった。尖っているとは思えなかった。そうなっていくならシリーズを追うのをやめようかと思っていたくらいだった。
でも3をやってみて、これなら大丈夫だと思えた。これからシリーズをどうやって展開させていくのか、具体的には見当もつかないが、わたしは期待している。
ヒッチコック「サイコ」の連想
1章の感想でも書いたように、わたしは赤松さんから最原くんへの交代はまったく予想しておらず、非常に驚いた(ネット上をうろついていると、事前に予想していた人が結構いてまたびっくり。わたしは買うゲームについて、「発売日」以外の事前情報を全部遮断している)。叙述トリックはアガサ・クリスティの某作品を思わせるもので、中学生の頃に読んで度肝を抜かれたあのときの体験を、新しい形でまた味わうことができるなんてと嬉しくてたまらなかった。
主人公交代劇といえばヒッチコックの「サイコ」があまりにも有名だが、こちらも大好きだ。もちろんわたしは「サイコ」公開当時はまだ生まれていない。あれも公式からネタバレ禁止令が出た上での上映だったそうだ。まさか「サイコ」並みの主人公交代劇をリアルタイムで追うことができるとは。本当にネタバレを踏まずに体験することができてよかった。
で、その主人公交代について一部では怒っているファンもいるとか。うんうんそうだよね! 「サイコ」公開当時も、ジャネット・リー目当てで見に行った人がめちゃくちゃ怒って低評価を下したという。まさか21世紀になって自分でそれを追体験できるなんて、貴重な体験をしたものだ。
しかし「サイコ」リスペクトで、主人公が赤松さんから白銀さんにかわっていたらもっと大変なことになっていただろう。探偵視点に移すあたりは製作者の悪意よりも良心を感じる。「サイコ」は映画だからあの話が成り立つが、ゲームでそれをやったら収拾がつけられない気もする。
首謀者について
5章クリア時、つまり「江ノ島盾子の後姿」を見た後、わたしはこう書いていた。
君さ、江ノ島盾子ちゃんのコスプレしてない? あの「思い出しライト」はただ嘘の記憶を植え付けているだけで、希望ヶ峰学園ってフィクションの話だったりしない? (さすがに、1や2のキャラはあの後みんな隕石で死にました! みたいなオチはひどすぎると思うんだ)キャラになりきるために今回の事件丸ごと起こそうとしなかった?
大体8割くらいは正解している。しかしこれも、それまでの描写の積み重ねに誘導されたものだった。
ほかのキャラの才能については印象深く描写し、白銀さんのコスプレについては序盤で「変装は無理」と明言した後はほぼ描写しない。4章になって白銀さんの研究教室が解放され、「そういえば彼女はコスプレイヤーだったな」と思い出させる。5章でコスプレイヤー経験からくる推理を披露し「そういえばコスプレイヤーとしての推理ってこれまで見なかったな」と印象づける(わざわざほかのキャラに「さすがコスプレイヤー」みたいなセリフを言わせている)。また最原くんには繰り返し「生き残りメンバーの中に首謀者がいる」と言わせている。その上でラストに、消滅したはずの江ノ島盾子の「後姿」を持ってくる。ここまでされれば、盾子ちゃんの後姿とコスプレイヤーを結びつけるのは難しいことではない。6章に入って女子トイレの隠し通路が発覚した時点で確定である。
5章終了時にわたしの考えた筋書きはこうだった。
ダンガンロンパというフィクション作品、江ノ島盾子というキャラクターにひかれた白銀つむぎ、「キャラの完全再現」を目指してコスプレに取り組む。「完全再現」をするからには言動も完コピしなければならない。よっしゃひとつコロシアイさせたろ! …こういう流れである。
しかしさすがに彼女を単独犯と考えるには無理があった。あまりにも「舞台」の規模が大きすぎる。とはいえ過去作には十神のような財閥の御曹司キャラもいたし、白銀さんのファンの中に大富豪がいる可能性も普通にある。白銀さんは有名になる前はアルバイトをしていたそうだから(彼女の言葉を信じるなら、だが)、本人が大富豪というよりはスポンサーがついていると考えるべきか。
という推理を引っさげて6章に臨んだわけだ。
オチについて
で、首謀者としての白銀さんのセリフは、いったいどこまで信用できるのか。もちろん上で長々と書いたように、これは「不定」だからこそ面白く、価値のある話だ。だが無粋とわかっていながらも、あれこれ考えるのが楽しい話でもある。
確定しているのは、白銀つむぎは「江ノ島盾子」を知っていることくらいだ。
そして「江ノ島盾子」はフィクションのキャラクターであることもほぼ確定だろう。白銀さんがコスプレできるのはフィクションキャラだけだから。つまり1・2世界においては1・2のストーリーは現実に起こったことだが、V3世界にとって1・2世界はフィクションである。「世界観一新」とはこういう意味だ。
(この点についてはつくづくよかったと思う。さすがに1・2世界と地続きのまま、1・2のキャラはみんな隕石とウイルスで死んだことが確定したのでは悲しすしぎる)
ここから先は「不確定」の話になる。
白銀さん以外のV3キャラは、本当に才能を植え付けられているのか? これについては本当にわからない。最原くんや王馬くんの才能であれば、脳への影響だけで処理できるだろう。赤松さんがピアノを弾く場面がなかったことで、わたしは彼らの才能が知識だけ植え付けられたものではないかという疑いを深めた。
ただゴン太くんの視力やハルマキちゃんの身体能力については、脳に働きかけるだけでなんとかなるものではない。今回の「才能植え付け」はカムクラプロジェクトとも違って、ライトを浴びせて脳に作用するだけのものだと言われている。ひょっとすると、もともと持っていた才能を増幅する形だったのかもしれない。
次いってみよう。V3キャラのもともとの性格は? 言い換えると、オーディションは本当にあったのか? あれこそいくらでも捏造が可能なものだ。動機ビデオも同様。生き残りメンバーを絶望に堕とすことを目的として、「チームダンガンロンパ」が捏造したのだと思われる。彼らは実際には誘拐されたのだとわたしは解釈している。デスゲームショーが人気の世界だというのが本当だとしても、それに率先して参加したい人がそうそういるとは思えない。生き残った2人には莫大な財産が与えられる、みたいな勝利特典があるならともかく、そこには言及されていないのもあやしい(2回目プレイというおしおきがあることは名言されているのに)。
白銀さんの言う「模倣犯」の意味とは? 単に盾子ちゃんというキャラクターをリスペクトした上で、自虐的に自分を語った言葉かもしれない。また一方で、この世界において白銀さんのしたことはれっきとした「犯罪」であるという可能性もある。支援者や視聴者は数多くいるものの、あくまでアンダーグラウンドな活動なのかもしれない。この場合は、最原くんたちは脱出後に保護されるだろう。あんな大規模な施設を作っておいてアンダーグラウンドとは言えないような気もするが、私的研究所だとでも言い張って、あとはしかるべきところにお金をばらまいておけば、何とでもなるようにも思う。少なくともあの世界なら。
「ダンガンロンパ」は本当に53作目? 53作目かどうかはともかく、このコロシアイゲームが初回ではないのは、天海くんの存在からほぼ確定。
外の世界の状態は? ここがいちばん解釈が難しいところかもしれない。視聴者の顔やコメントは「チームダンガンロンパ」がいくらでも捏造できる。(あの演出に怒るプレイヤーって、自分のやっていることに自覚がないのだろうか。わたしは最高にニヤニヤしたのだが)しかしキーボくんと、キーボくんに接続されたプレイヤーの存在をどう解釈したものか。これはどこからがメタで、どこまでが作品世界かという問題にかかわってくる。ゲーム的メタ認知とでもいうべき問題だ。「プレイヤーという視聴者」は確かに「存在する」が、その「プレイヤー」はこのゲームに登場する「視聴者」と、必ずしもイコールで結べない。ここが難しいし、混乱を引き起こすポイントだ。また確定させてはいけないポイントでもある。保留。わたしとしては、どちらであっても構わない。
一応書いておくと、V3世界もまるごとゲームでしたというオチの可能性もあると思っている。しかし2作続けてそういうオチだとばらすのも無粋なので、「不確定」としたわけだ。むしろ製作者はその可能性を残すために描写を工夫している。何だよ思い出しライトって。あと建物があんなふうに出現するわけないだろ。モノクマもやたらと「この世界」と強調していたし、どう見たってゲーム的描写ではないか。今のところわたしは割と本気でこの説に傾いている。
あと何か残っている謎ってあったっけ。思いついたらまた追記しよう。そんなことよりわたしは早くおまけモードで遊びたいのだ。王馬くんですごろくを始めてみたのだが、1・2キャラとの絡みが楽しすぎる。葉隠ってやっぱり最低だな! 知ってたけど!