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— ダンガンロンパ公式 (@dangan_official) 2017年2月24日
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(170309 表紙画像Amazonにも来てた!)
今日はキャラ語りはお休みして、V3の世界について現時点で考えていることを書いてみたい。もちろんネタバレ満載につき注意。
前提
V3は世界観も含めてすべてが「不定」な部分が面白いのであり、可能性を探る行為はそもそも無粋である。しかしファンとしてあれこれ考えたくなる設定であることも確かで、ここはそういう無粋なことをする場所として作られたブログなのだから、無粋な行為に付き合ってくれる方はどうぞ、というスタンスでやってみたい。
やはりゲーム世界なのでは
初回プレイ時から感じていたのだが、V3はやはりゲーム世界な気がする。赤松さんや最原くんがつけていたヘッドギアはゲーム世界に入るためのものだ。
そう考える理由はざっくり分けて四つ。
1. いくらなんでもオーバーテクノロジー
思い出しライトを筆頭に、突然降ってくる建物や消滅する壁など、架空世界でなければありえない描写が多い。エリア解放シーンは露骨にゲーム的な演出もあった。入間さんの発明品に至っては、ギャグ時空でしか存在を許されない気がする。
本当に思い出しライトで才能も記憶も思いのままだとしたら、マコトくんの通っていたような学校は不要になるし、ギフテッド制度も無意味だ。
2. モノクマの発言
モノクマは「『この世界』ではなんでもボクの思い通り」という発言をしている。しかも「この世界」の部分は黄色の文字で。わざわざこんな言い方をするあたり、「この世界」は現実世界とは違うのでは。
3. 視聴者&参加者の存在
リアルな公開コロシアイゲームなんて本当にありえるだろうか? それに参加したがる人なんて本当にいるだろうか? と考えると首をひねってしまうが、全部ゲーム世界だとしたら納得できる。
視聴者だってたくさんやってくるだろう。ちょうどわたしたちのように。参加者も最新のVR技術を体験できる+生き残ったら賞金のようなご褒美があれば、集まるかもしれない(個人的にはオーディション映像は捏造説を支持したいが)。実際のプレイフィールドがゲーム世界であれば、参加者の実年齢は問わないだろう。V3キャラの設定年齢はみんな高校生くらいだろうが、(旧作と比べても)やけに精神年齢が高そうな人がいるのはそういうわけかもしれない。
とか考えていたら、ロシアでリアルダンガンロンパV3が行われようとしていた。
これ嘘ニュースだったりしないよね……。一応公式ホームページはロシア語版と英語版が存在しており、ざっと確認したところ内容は記事と概ね一致していた。
Game2:Winter Реалити-шоу в сибирской тайге
このサバイバルに生存した者は1億ルーブル(約2億円)の賞金が与えられる。生存者が複数いる場合は賞金を分け合うことになる。
この記事で大事なのはここ。このご褒美部分がV3の中でも明言されていれば、オーディション映像にもう少し信憑性があったのだが(あえてその描写を避けたのだと思っている)。
しかしこのリアルV3企画、どうやら本当に参加希望者が集まりつつあるらしい。
現在、全世界で、そのプログラムに参加するため、60名を超える候補者が手を挙げていることが分かった。参加者は男15人、女15人の計30人を予定している。
オーディションとかやるんですかね……。
シベリアの荒野には2000台のカメラが設置され、映像が世界中から閲覧可能。撮影クルーなどは同行せず定点カメラのみでの撮影となる。
とのことなので、もし本当に放送が始まったら見てしまうかもしれない。警察さんのお仕事を無駄に増やすような企画はいかがなものかと思うのだが。
しかしこの番組にもキーボくんほとではないにせよ、視聴者参加要素は存在しており、やっぱりこういう番組を公開する以上視聴者参加要素は欠かせないよなあと妙に納得してしまった。
4. 虫さん&星座
わたしがいちばん重視したいのはこれ。学内には虫さんがおらず、星座もゴン太くんが知るものとは違うらしい。
見える星が違うということは、やはり才囚学園はゴフェル計画によって宇宙を漂う宇宙船なのかとも思ったが、それでは虫がいないことの説明にならない。
植物があれだけ繁殖する学園で、虫を排除することなど可能だろうか。むしろ、虫が排除された空間で植物が繁殖することは可能だろうか? 今更こんなところで講義など不要だろうが、植物の繁殖にも成長にも、虫の存在は非常に重要なものだ。
虫だけではなく、学内にはほかの動物も見当たらなかった。鳥もいないし、たぶんトカゲとかもいない。植物はあんなに生えているのに。
植物は自然発生したものではなく、ゲーム開始直前に植えられたものだったとしても、人工的な植栽の際に虫だけを完全に排除するなんてほとんど不可能だ。
そんなわけで、V3世界はゲーム、キャラや建物、植物のモデルは作ったが、虫さんは(ゴン太くんの研究教室にしか)用意しなかったという結論に至った。
モノチッチの存在が少々ネックではあるが、あれはゲームを面白くするためにゲームマスター(モノクマ)に課された制限だと思っている。
ただ、ここまではたぶん誰もが想像しただろう。しかしその次の段階で思考停止するのだ。「二作続けて同じオチにするだろうか?」と。わたしはそれに対して「それは違うよ!」を言うためにこの記事を書いている。
それは違うよ!
2とV3のオチは違う。全然違う。
2の世界はゲームだった。それは確定している。重要なのは、それが何のために作られたどんなゲームだったのかという点だ。それこそが2のオチに繋がっている。
つまり2のキャラクターたちは絶望の残党であり、彼らを更生させるために作られたのが新世界プログラムだった。で、日向くんたちは自分たちの記憶や、ゲーム内での思い出や、非実在ヒロインや、死んでいった仲間たちのことを天秤にかけ、結局は「絶望」でも「希望」でもなく「未来」を創ることを選んだ。それを描くための「ゲーム」設定である。
2の物語は閉じていない。「未来」を創ることを選んだ彼らがその後どうなったのか、作中で明言されていない。「未来」を「不定」にすることで完成したのが2のオチだった。
2のゲーム設定がオチを導くための前提の一つであったのに対して、V3はそもそもどういう世界なのかまったく確定していない。最原くんたちのキャラクターはどこまでが自前で、どこからが作られたものなのかさえわからない。そもそも自前であることの意味とは? 才能が「本来の自分のもの」であることの定義とは? そんなことまで考えだしたらきりがない、まったくもって迷宮、閉じる気がまったくない、そういう意味で完成された物語だ。
「未来」どころか「現在」や「過去」すら「不定」なのがV3のオチである。そういう意味で、V3のオチは2を一回り拡張したものとして捉えることも可能だ。ただし1も2も、外の世界そのものを見せたわけではないから、「何もかも盾子ちゃんの妄言」という可能性も一応残されていた。そういう意味では過去作も「現在」「過去」「未来」のすべてが不定のまま完成した話と見ることもできる。絶対絶望少女とか3とかはここでは考えないものとする。
その「不定」を成立させるための舞台として、わたしにとって最も納得できそうな解釈が「ゲーム設定」だった。しかしそれは数々の「ありそうな世界設定」のうちのひとつにすぎない。作品としての解はあくまで「不定」である。
そんなわけで、もし「V3はゲーム世界だと思うんだけど、2とかぶるからな~」と思っている人がいたら、ぜひ自分自身に「それは違うよ!」を撃ち込んで、それぞれ納得できるまで2とV3における「ゲーム設定の意味の違い」「オチの意味の違い」について言語化してみてほしい。