なぜ面白いのか

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愛しの疑似家族「スパイファミリー」感想

母からの推薦で、かなり久しぶりに漫画を読んだ。

これがもうわたしの好みにド直球で、3日で4周くらい読んでいる。で、これはぜひ感想を書いてこの面白さを書き残し広めたいと思った。

その名も「スパイファミリー」

スパイもの(特に冷戦期)の洋画好きにはたまらんやつだった。

コードネーム U.N.C.L.E.キングスマンみたいなはちゃめちゃなスパイ映画が好きな方にはぜひおすすめしたい。世界設定やアクションはアンクルが近いが、ノリは「ジョニー・イングリッシュ」かもしれない。

基本的にはギャグ漫画で気楽に読めるのだが、007ミッション・インポシブルのようなスパイアクションもののお約束もあり、ジョン・ル・カレ作品のような本格スパイものの空気が感じられることも(たまに)あり、まあとにかくスパイものが好きならきっと楽しめる。

あとブラックジャックピノコの関係が好きだった人にもたまらない気がする。表紙に描かれたアーニャちゃんを見たときの第一印象でピノコを連想したのだが、これは意外と的外れではなかった。「訳アリな少女とその保護者(たち)による疑似家族」というジャンルが好きならこれもまた楽しめるはずだ。

以下、ややネタバレを含みつつの感想になるが、この作品はそこまでネタバレが致命的な話ではないので、未読でもあまり気にしない方はこのままどうぞ。

でもできればこの場で買ってから続きを読んでくれ。

 

 

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異質なものとの出会い

本作品に通奏するテーマはこれだ。

作中に登場する主要人物は皆、大なり小なり秘密を抱えて生きている。

主人公のロイドはスパイ(というかロイドの本名自体が不明である)、ヨルは殺し屋、アーニャは超能力者。その周辺にいる登場人物たちも秘密を抱えている。

彼らは皆、自分とは異なる性格、背景、出自(東側と西側の人間が疑似家族を作っているわけで)、価値観を持つ「異質なもの」同士だ。

そして「異質なもの」との出会いにひとつひとつ驚きを感じる。特に顕著なのは「優秀なスパイ」であるロイドが、孤児だった(そして超能力者でもある)アーニャの言動に振り回されるシーンだ。その多くはギャグ的な描写なのだが、それはまさに「異質なものとの出会い」としか言いようのないものだ。同じ世界を見ていても感じ方が異なるふたりの描写は面白く、しかし同時に「大人」になってしまった自分の視点に気づかされることも多い。

本作品が優れているのは、「異質なもの」と出会ったときのそれぞれのキャラクターの反応である。

彼らは「異質なもの」を否定しない

「異質なもの」との出会いに驚きは感じるが、それをそのままに受け止める。この描写が本当に心地よく、それこそがこの作品全体の空気を(冷戦期バリバリの世界観にもかかわらず)穏やかで優しいものにしている。

これこそ多様性を認め合う、令和の時代の漫画であることよ。

「多様性」を認め合うというのは、何も外国人とか性的マイノリティとか、そういう「よく話題になる問題」の場に限ったことではない。〈他者〉とはすべて「異質なもの」である。あなたの隣人はすべてが〈他者〉である。「異質なもの」を認め合うという姿勢、それこそがコミュニケーションの基本であり、人の世を豊かにするのだ――というようなことを、この作品を読みながら繰り返し考えた。

 

共通項からの共感

「異質なもの」、すなわち「他者」を受容するための思考的な手続きの描写も優れていた。それは1話で早々に読者へ提示される。

ロイドは泣いているアーニャを見て、小さかった頃の自分を思い出す。「誰も救いの手を差しのべてくれない孤独や絶望感と」「ただ泣くことしかできない無力感」を思い出して「腹が立つ」のだと自己分析するのである。

「異質なもの」の中に存在する自分との共通項を見出すことにより、「異質なもの」と自己とを隔てていたはずの壁は取り払われ、相手は地続きの存在となる。「異質なもの」が「共感できる相手」へと変化するのである。

この描写がもう、いちいち丁寧で、とにかく心地いいのだ。

ヨルの弟のユーリに対しても、ロイドの感性は発揮される。「支え合う姉弟」のあり方に、ヨルを大切に思うユーリの姿に、ロイドは自分との共通項を見出した。ユーリが「スパイにとって最も厄介な」東側の秘密警察の一員であると知りながら、ロイドはユーリに共感するのである。

 

他者理解

もうひとつ本作品の優れたところをあげるならば、登場人物たちによる徹底した「他者理解」の姿勢だろう。

特にロイドが「子育て」「教育」に行き詰まったときの、「まずはこの子を理解しよう」という姿勢には感服する。子供が自分の期待どおりの反応を返さないとき、ロイドは「聞き分けのない子」だと決めつけず、「この言動の背景にはこの子なりの何らかの理由があるはず」「理由が理解できれば共感できるはず」という思考をたどる。

その背景にはスパイとしての「相手を知ることが和平への第一歩」だという信条がある。相手のことをできるだけ深く知ること。絶えず情報を最新の状態にアップデートすること。ミクロからマクロまで、あらゆるレベルにおける「対話」にとって最も必要なことである。それによって〈他者〉と自分との間に共通項を見つけることができ、共感を得ることにもつながる。

そんなふうに真剣な検討を経て、全然見当違いな結論に至ってしまうロイドはおかしくて、でも愛おしい。

まあロイドはスパイなので、これまではそんなふうに築いた人間関係もあっさり捨ててきたのだろう。おそらくは、そうやって信頼関係を築いた上で相手を殺すことすらあっただろう。だが今の彼は、ヨルとアーニャと築いてきた関係を簡単に手放すことができるだろうか。

別れの覚悟は最初からしているだろうけれど、すでに彼はある種の葛藤を抱いているように見える。読者としてはこの「ファミリー」にはハッピーエンドを迎えてほしいのだが、果たしてどうなるか。

どんなにハッピーなシーンにもその緊張感が常にあるのも、この作品の面白いところだ。

 

「他者理解」におけるチート能力

さてここまで「異質なものとの出会い」「他者理解」についてのあれこれに付き合ってもらった方には、アーニャの「超能力」がどれほどのチート能力かおわかりいただけるだろう。

これほど「他者理解」の描写が丁寧な作品において、「他者理解」のための最強のチート能力を持つのが、作中最弱の少女だというのが本作品の面白さのひとつだ。

人間関係の裏側のすべてを知っているアーニャ。ロイドとヨルの「結婚」も彼女の功績である。

人の抱える醜い本心をすべて知りながら、彼女が純真さを失っていない(まあだいぶ擦れてはいるが)ところが、この作品最大のファンタジーでもある。「超能力」なんかよりもよっぽど、このことこそがファンタジーである。でもいいのだ、漫画だもの。ファンタジーは要るでしょ。

「ちちうそつき」と思いながら、なぜ彼がうそをつかなければならないかを理解して「かっこいいうそつき」と受容するアーニャが愛しい。それは彼女にとって生存のための策略であると同時に、彼女の優しさでもある。

 

ちなみにわたしは、犬が登場する4巻のエピソードがいちばんお気に入りである。ファミリーの三人がそれぞれの能力を活かしてひとつの事件を解決する様子は、一本の映画を見たような満足感があった。

あ~~、ハリウッドで爆予算組んで映画化しないかな~~~(くねくね)。

 

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