紅蓮編4.0もいよいよ大詰め!(IDのレベルが69になったのでたぶんもう終盤だと思われる)
ドマ&アジムステップ編の盛り上がりが大変すばらしく、ククルカくんは「紅蓮のリベレイター」になるべくアジムステップ編クリア後に髪を赤く染めた(形から入るタイプ)。
今日はアジムステップ編の感想をあれこれ。
ネタバレ全開につき注意!
一連のストーリーで特に興味深かったのは、さまざまな独自の宗教観・世界観を持つアウラ・ゼラの諸部族。ひとつずつ振り返ることにする。
ケスティル族
再会の市を取り仕切る無口な部族。
「言葉とは嘘である」とはまたずいぶん極端な価値観の部族が出てきたものだと思ったものだが、こんなのはまだ序の口だった。
言葉ではなく行いで信用を得るという一連のクエストが印象深い。あの商人が一回り大きくなって戻ってくれば、市もさらにいい賑わいを見せるに違いない。
しかし彼らが「言葉とは嘘である」という価値観を部族内で一般化させあのような生活様式に至るには何らかのきっかけがあったに違いないのだが、いったいどれほどの裏切りにあってあんなことになったのだろうか。
モル族
弱小部族だがガチの神託屋さんがいる部族。逆になぜあんなレベルの高いご神託があるのに弱小なのか。どう考えても毎年草原の覇権をとれるレベルなのだが。
今まではご神託に従って争いを回避してきたから、戦闘力が育たなかったということかな。
ご神託というと一般的にはどうとでも解釈できそうな言葉を並べてうやむやにされるものだと思うのだが、ここのご神託はかなり具体性がある。今夜のおかずから戦の采配までなんでも答えてくれるモルの神様すげえ。
ククルカくんたちがいなくてもご神託パワーで草原の覇権をしばらく握り続けてもおかしくない気がする。厳しい自然環境のアジムステップを統べるのは強い力を持つ部族であるべきだという理屈であの合戦があるならば、あのご神託でアジムステップ全体を統べるのもアリだと思うんだよな。嵐や地震くらいなら予知できそうじゃない?
オロニル族
みんな大好き余輩様。
薄暮の民アウラ・ゼラでありながら太陽神アジムの血脈を名乗り、自分と対になる月神ナーマを探し求めている。アジムステップ有数の武闘派民族の割に、なかなかロマンチックな神話を持つ部族である。これ絶対余輩様とサドゥ様のための設定だろ。
こんな偉そうに命令を待つ人初めて見た。
合戦後の帝国軍乱入戦といい、ドマ城攻城戦といい、彼らの戦闘シーンは盛り上がるなあ。
かわいそうな余輩様……。でもあなたのナーマはたぶんこの人じゃないから。
ドタール族
自分にとっていちばん興味深かったのがこの人たち。
生まれ変わり、転生を信じる部族というだけならそれほど珍しくないのだが、生年月日などから「誰の生まれ変わりか」を特定し、「生前」と同一人物として扱うという。おそらく数百年単位で「生き続ける」コミュニティなのだろう。
生まれ変わりを信じるがために生への執着は薄く、死を恐れず戦うから強い。また勇敢に戦うことにより「魂の輝き」が生まれ、魂がよく輝いた者は死んでもすぐに「戻ってくる」というから、ますます強い。
この教義は戦士としての心得だけに影響するのではなく、実は子孫繁栄にも影響しているのではないだろうか。「亡くなったあの人に早く会いたいから子供を作らないと……」という発想が、このコミュニティではありえると思われる。
これももとはアジムステップの環境に適応するために出来上がった宗教観だろう。人が簡単に死に、戦い続けなければ生きていけない過酷な環境に人間の精神が適応するためには、宗教が必要であるというのはわかる。よくできていると思う。
だが一方でわたしにとってこの教義は本当に理解を絶するというか、個人とは何か? このような環境で育つとアイデンティティはどのように醸成されるのか? と疑問が尽きない。
おそらく「個」という感覚が非常に薄く、伝え聞く「前世」のキャラクターに沿う形で育つ人が多いのではないかと思われる。周囲もその人を「前世」のキャラクターと同じように扱うだろうから、環境要因によって「同一キャラクター」として完成してしまうのではないだろうか。
物心ついた頃から「あなたは前から○○が得意だったのよ」と言われて、才能をのばす形での教育をされれば、大体の場合は人並みにできる程度にはなると思われる。
正直、完全なる「個の否定」はわたしにとっては恐怖であり、この設定でホラー映画が作れると思っている。
ただあの剣士のクエストを見る限り、ある程度の差分は許容されているようだ。つまり「今回のAさんは○○が得意なんだね」という形で「前回のAさん」との違いも受け入れられている。ここはちょっとほっとしたかな。そしてドタールの教義について、開発側がよく設定を練っているのも伝わってきた。
それから転生の円環から外れる方法も提示されていた。「楔石の虚」という場所から身を投げると、その魂は月神ナーマの一部となって二度と生まれ変わらないという。
転生を信じる人々にとって転生の道を断つというのは、「個人」の問題ではない。何百年も「生きて」きた、何世代分もの「わたし」をここで終わらせるという責任を背負うことになってしまう。ククルカくんが送り届けた彼女の覚悟と、募らせた怨念の凄まじさがうかがえる。
それはそれとして、サドゥ様マジで男前。転生教育の成功例だなあ。
ウヤギル族
強欲の罰として何世代にもわたって質素な洞窟暮らしを続ける部族。
いったい俺らが何をしたっていうんだよお!!! って言いだす人が出ないのがすごい。もう先祖が具体的にどんなことをしたのかもよくわかっていないのに、ずーっと質素な暮らしをしている。ナマズオからの贈り物も「豪華すぎる」と返却してくる始末。
もともとは現在オロニル族の住まう明けの玉座にいて覇権を握っていたが、重税を強いた(=強欲)ことから別部族の反感を買い、何らかの天変地異(=神の怒り)をきっかけに暴動に発展し、明けの玉座を追放され、洞窟に追われることになった……みたいな歴史を想像している。
モル族の神託もウヤギル族の神託も、超える力みたいなものだったりするんだろうか。
主な部族はこんなところかな。
アウラ・ゼラには全部で51の部族がいるらしいから、クエストに絡んで登場したのはごく一部だ。
しかし彼らには共通の特徴がある。これだけさまざまな価値観、世界観を持つアウラ・ゼラだが、互いの価値観や宗教を否定はしないのだ。それはこの草原における絶対のルールのように見える。
ケスティル族と交渉するときは言葉を使わない。ドタール族の転生を迷信だと笑わない(ゴウセツの反応とそれに対するドタール族の反応を見ると、逆にアジムステップにおいてはゴウセツのような反応は稀だということがわかる)。ウヤギル族への贈り物が「豪華すぎる」と突き返されたら、かえって面倒なんだけど……とは思いつつも質素なものを用意しなおす。
ごく近いところにまったく異なる文化を持つコミュニティがあり、争いがあったりはするものの、それは同時に価値観の相対化ももたらしているのだと思われる。彼らは自然と「よそはよそ、うちはうち」の考え方を身につけ、「他者」と交わる場合は「よそ」の文化を尊重し「うち」のやり方を押しつけない。
アジムステップのシナリオが、重い部分もありつつ全体としてさわやかに感じよくまとまったのは、彼らのこのスタンスによるところが大きい。
「よそ者」として彼らを観察する立場にあるプレイヤーは、ここから何を学ぶべきだろうか。そしてリセたちは何を学んだのだろうか。その答えはこれから始まるであろうドマの再建と、アラミゴ解放の結末で見られるのかもしれない。
いやほんと、合戦後のおかわりは、音楽もあいまって展開の熱さに涙しながら戦った。
ドマ編はヴィランがちゃんとヴィラン然としていたし、そのあたりも好感が持てる。
現在カストルム・アバニアをクリアし、ギラバニアも移動できる範囲がかなり増えた。いよいよあのラーメンヘア野郎と何度目かの再戦がなるのだろうか。
髪を洗って待ってろよ!!!
……という場面なのだが、今夜からわたしはサイバーパンク世界に旅立つことなった。
盛り上がっているリセたちのパーティを一時離脱するのは大変心苦しいのだが、ごめんよ!!! 戻ってきたらちゃんとアラミゴ奪還するから!!!!