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アルファとオメガを振り返る「ファイナルファンタジー14」プレイ日記・50

 

暁月トレイラー風に撮影してみた

世間ではモグコレが真っ盛りの今日この頃、いかがお過ごしだろうか。

わたしは先月からアルファ3層を周回しまくり、ついに「エスケープ eScape (Journeys)」の楽譜をロット勝ちすることができた。もう嬉しくて嬉しくて、アパルトメントでずっと流している。

この曲はもちろんオメガ戦の高揚感にも合っていたのだが、ずっと走り続けるようなイメージの曲だったものだから、スティグマフォーで改めて採用されてとても喜んだ。オラッ走れ走れ! って感じで。

さて先日のPLLでオメガの続編となるクエストがあると発表され、わたしは食べていたちらしずしを噴きだすところだった(かろうじて耐えた)。

マジで……オメガの続編……?

オメガといえば、紅蓮クリア後にクリアした当時、その壮大な物語に涙し、それが漆黒のメインストーリーにつながっていることに気づいてまた涙し、暁月でさらに号泣することになった一連の物語だ。

まさかここにきてあの話の続きが見られるとは。

いや、たしかにウルティマ・トゥーレのサブクエストは続きが気になる形で終わっていたが、本格的にオメガの続きとしてお出しされるということは、それなりにボリュームのあるものを期待してもいいのではないだろうか!

というわけで、ここではそのオメガに関して今の時点で気づいたことのメモ。

暁月メインクエストクリアまでのネタバレあり!!

 

 

【暁月トレイラー風スクショ撮影メモ】

嘆きの海 X:9.4 Y:23.1(スマイルトン突入口のすぐ西)にある岩の上で撮影すると、いい感じに星が背景になり、ネタバレ部分(アレとかアレとか)は画面に入らない。

ナイトの「ロイヤルアソリティ」を使うとトレイラーのひろしっぽいポーズになる。

 

 

 

 

 



アルファにしてオメガ

オメガはアルファ3層で「アナタはアルファでありワタシはオメガである。これは最初であり、最後の検証」と言う。

そしてアルファ4層では「ワタシはオメガであり、アルファである……。弱き人の特徴を実装し、真なる強さを求めましょう」と言う。

もちろんこのセリフは『ヨハネの黙示録』からの引用。「私はアルファにしてオメガである」とは、世界の始まりから終わりまでを司る、要するにすべてを司る神の語る言葉だ。

ギリシャ文字の最初がアルファΑで、最後の文字がオメガΩなことからきている。

英語だとA to Z(あるいはAZ)で「最初から最後まで」の意味になるのと同じ。

 

ただ、クエスト内でのオメガのセリフは必ずしもその意味で言っているわけではない。

オメガの言う「アルファ」とは「最弱」の存在のことで、「オメガ」とは「最強」の存在のことである。

アルファ3層で、オメガは初めて人間(=オメガから見て最弱の存在)との「直接対決」を果たす。オメガが創りだしたものではなく、オメガ本人との対決である。ここオメガは「アナタ」と「ワタシ」の間に明確に線を引いている。

しかしその戦いに敗れたオメガは、人間の強さのあり方を知るために人間の外見的特徴を自らに実装する。それがあの場における「アルファにしてオメガ」の意味だ。

エスト的には、一連の物語を「始めた」者こそが「オメガ」であり、物語を「終わらせた」者が「アルファ」であるという、逆の構造になっているのが面白い。

 

 

暁月をふまえて「エスケープ」の歌詞を見ると

先日暁月サントラを買い、ウッキウキで歌詞を眺めていると、なんと「エスケープ」の歌詞に和訳まで含まれているではないか。早口すぎてわたしが歌える見込みはゼロだが、何を言っているのかわかるのはありがたい。

なおざっと検索してみたところ公式からは歌詞と和訳は公開されていないようなので、全文確認したい人はサントラを買うべし。

 

 

一見して不思議なのは、この歌詞がオメガたちアルファトロン星人(?)視点で語られるものにしては「意思」に溢れているという点。

Come ride, heroes, ride

なんて、あのオメガやオミクロンベースにいた彼らが口にするものだろうか。

この歌をうたえるような人たちなら、「心」を求めて人間と戦ったりしなくてもよさそうな気がする。

というか「エスケープ」を「逃走」とか「脱出」の意味で考えると、それをしたのはミドガルズオルムの方であり、オメガはエスケープしてない気がするんだよな。でもこの歌詞を見ると「母船から切り離され」とか、オメガ視点っぽい部分もあったり。

もしかしたらまだ我々の知らない背景があったり、あるいはオメガの旅を第三者視点からうたったものだったりするのかもしれない。

 

暁月クリア後のわたしがこの歌詞を見ると、これはウルティマ・トゥーレへと向かう艦に乗り込んだヒカセンと暁の状況にも似ているように思える。

Come ride, heroes, ride なんだよ……。ここでは「英雄」は複数形なんだよな。

特に「今宵見よ、終わり(オメガ)が終結させしものを、再び始める(アルファ)のだ」なんて、まさに「終焉の戦い」っぽいではないか。

またオミクロンベースにいた「マスター」は、もうすべてを「終わり」にしようとしていた。だが「終焉を謳う者」が消えた今、もしかしたら「再び始まる」こともあり得るのかもしれない。ウルティマ・トゥーレにいる「彼ら」は本物ではないが、宇宙のどこか別の場所で。いや待て、侵攻が再び始まるのはまずいな。まあ今になってアーテリスに攻め込むようなことになったら、全力でエスケープする事態にさせてやんよ!

 

 

心ある者には耐えがたい距離

来たる続編のためにオメガのイベントを紀行録で見直してみたところ、初見時とはまた違うポイントが刺さった。

ドガルズオルムを追って、果てしない宇宙を孤独に旅したオメガ。

本星からの通信は途絶え、帰投ポイントの座標も失い、それでも飛び続けた。

どうしてもメーティオンの旅と重ねてしまう。メーティオンの方が明らかに性能がいいが。彼女はアーテリスとの交信を続けられたし、帰るべき場所も見失うことはなかった。デュナミスパワー強い。

だがオメガは絶望しなかった。「マスター」は絶望していたのに、オメガはしなかった。それは結局オメガに「心」がなかったからだ、とシドさんは結論づけている。

あの「オメガ」は「マスター」ほど複雑な機能を持たなかったから、単純な目標を追い続けることができたのかもしれないということだろうか。

あるいはあのオメガは、ミドガルズオルム、そしてより強い人間という目標を追い続けたからこそ「絶望」に至らなかったのかもしれない。あと休眠状態期間も長かったみたいだし。

しかし暁月には、「心ある者には耐えがたい」距離をひとりウキウキで、もちろん途中で絶望することもなく飛んできたがいるんだよな……。そりゃもうオメガやミドガルズオルムよりだいぶ速いスピードで来たのだろうけども、本当にとんでもないやつだよ、あらゆる意味で。

 

 

もうひとりの「アルファにしてオメガ」

ところでオメガが「アルファにしてオメガ」と言うのを見るたびに(楽譜目当てでアルファ4層も通いまくったのだ。「エスケープ」よりだいぶ先に出たよ!)、わたしはもうひとりの「アルファにしてオメガ」なる存在のことを思い出していた。

アゼム AZEM のことである。

上で書いたように、ギリシャ語ではΑとΩになるところが、英語(など現代欧米の諸言語)では AZ で「最初から終わりまで」の意味がある。アゼムの名前にAとZを入れたのは意図的だと思われる。

始まりから終わりまでを司る者。

古代人にとってこの名前がどういう意味だったのかはともかく、「わたしたち」にとってはこれはそういう意味の名前だ。

古代人に「終わり」をもたらしたのは、直接にはハイデリン=ヴェーネス=前代アゼムだった。

同時に現生人類にとっての「始まり」をもたらしたのも、前代アゼムである。

おそらくその両方に、当時のアゼムも何らかの形でかかわっていた。

そしてヒカセン=アゼムのクリスタルを持つ者によって、「終わり」を乗り越え再び歩き始めることができた。

 

ハーデスとヒュトロダエウスに「終わり」と「始まり」をもたらしたのも、アゼムのクリスタルを持つ者だった。

 

6.1ではヒカセンの「新たなる旅立ち」が描かれるようだが、それはアゼムにとって次なる「A」になるはずだ。今からわくわくが止まらない!

 

 

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