いよいよ「9話」ということでドキドキしながら見た。「9話」に「大聖堂」が出てきたら(あれってベイラー大聖堂ってことでいいのかな?)、「今からこの大聖堂は爆発する!」と思うじゃん? それをうまく利用した構成だった。
わたしは「いや~この場はどうにか何ごともなく終わりそうやないの」と話していた3秒後にあんなことになり、「謹んでお詫びして訂正いたします」と呟くことになった。
以下、ネタバレ感想。
レイニス貫禄のターガリエン仕草
いやほんと、これこそターガリエンの女だよな。
民の犠牲とか1ミリも考えてないもんな。
丸腰の女性に対して全力の武力でもって脅すんだもんな。
ターガリエン仕草が好きな人にはあれが英雄的に見えるのだろう。
暴力によってすべてを解決する結末が好きな人がたくさんいるのは知っている。
暴力の行使を見ることですっきりする人がたくさんいるのも知っている。
モブ(=感情移入できる描写がなかった人)がどれだけ死のうと何も感じない人がたくさんいるのも知っている。
犠牲になる民のことは無視してその暴力を賞賛する人が多いことも知っている。
それはつまり強い暴力を振るえる者によって支配されたいと望む人がたくさんいるということで、実際のところ人間とはそういうものだということも知っている。
わたしには丸腰の相手に核兵器を突きつけて喜べる人の気持ちはわからん。
いや、十分に理解できるからこそそれを安易に認めてはいけないと思っている。
ちなみにあの場でドラカリスしてしまえば当然王位簒奪は完了する。
しかしそれは、新たな王に跪いた諸侯の大半と民を敵に回すことと同義である。彼女もそのへんの計算はできるだろう。根回し・手続きというものは大事である。
また丸腰のアリセントが王をかばったからこそドラカリスが回避されたという見方もできる。あそこで「丸腰の民間人(しかも女性)」相手にドラカリスしていれば完全に悪役ムーブだ。まあ丸腰の民間人や捕虜相手にドラカリスするのこそ、ターガリエン仕草そのものなんだが。
友とも語り合ったが、あのときアリセントが丸腰で「ドラゴンに立ち向かった」のは、レイニスの「自分が王になる気はないのか」という問いへの答えだったのかもしれない。彼女の決意と覚悟を感じ取ったからこそ、レイニスは引いたのかもしれない。
つまり……レイニスはオレナおばあちゃんポジの人なのか?
オレナおばあちゃんはデナーリスに対して BE a dragon. とたきつけて、自分の子どもや孫を殺したラニスターの人たちを殺し、キングスランディングを灰にするという目的をかなえた。
(そのへんについては当時書いたのでよかったらどうぞ)
レイニスはもっと直球にアリセントをたきつけたわけだが、それはどんな結末をもたらすものだろうか。
「戴冠せざりし女王」である彼女はいったい何を望んでいるのだろうか。もちろん BE a dragon. 発言時点でのオレナさんほど追い詰められているわけではない(タイレル家滅亡決定)から、あのときのオレナさんほどなりふり構わない(王都を焼いちまえよ!! クラスの)発言ではないにしても。
筋を曲げてまで自分の戴冠を認めなかった諸侯も民も彼女にとっては死んでもいい「敵」だった?
あるいは筋を曲げてまで自分の戴冠を認めなかった連中がレイニラには跪いたのなら、その誓いくらいは守って一貫性を見せろと言いたい?
ちなみにあの「王権神授説」的な戴冠式のやり方自体が気に入らなかった可能性はある。あれはどう見ても「ターガリエン式(=ヴァリリア式)」ではなく七神教にのっとった「ウェスタロス式」であり「ハイタワー式」だった。あのやり方は「ターガリエン」への冒涜だと言ってもいい。そこは彼女にとって譲れない一線だったかもしれない。
あとレイニス的には、レイニラはレーナーとの子どもではない子どもを産みまくった上にレーナーを殺して即デイモンと再婚した人なわけだが、それについては前回でもう片がついたと考えているのだろうか?
強くなったなアリセントよ
いやほんと、あのドラゴンに対して、あの剥き出しの暴力装置に対して丸腰で挑むアリセントを見て「強くなったな……」と思った。
彼女はもうずっと前から自分が父親の「駒」であることには気づいていたはず。それこそ初めてヴィセーリスのところに行かされるよりも前から。それが彼女の自傷行為になって現れていた。今になって、ようやく彼女はそれを口にできたのである。
おそらくレイニスにたきつけられたことによって。
そしておそらくヴィセーリスが死んだことによって。
ヴィセーリスはアリセントにとって「夫」だが、同時に「第二の父親」的な立場でもあったはず。いや第二の父親と寝たくねーな! アリセントはヴィセーリスの「精神的保護者」であり、同時にヴィセーリスはアリセントの「政治的保護者」だった。彼女は王によって守られ、オットーが追放された後もレッドキープでの立場を保たれていた。彼女がどれほど孤独だったとしても、子どもたちの父親である彼がひとつも育児に協力する気がなくとも、だ。
その彼が亡くなったことで、アリセントはいよいよ「大人」にならなくてはならなくなった。独り立ちしなければならなくなった。アリセントはいわゆる「シングルマザー」になったわけだ。これはシングルマザーと愛し合う夫婦の戦いということになるのか。徹底してるよな、つくづく。
彼女はヴィセーリスのなきがらの前で泣いていた。それはひとつには、これから自分は彼の保護下にはいられないことへの不安の涙だっただろう。
しかし。
ヴィセーリスのために泣いてくれたのはアリセントだけだった。
父親の駒として結婚させられたアリセントだったけど、そこにはやはり何らかの愛情があったのだと改めて思わせてくれた。その愛情がなければ、あんな介護はできないよな。
レイニスは泣かなかった。そしておそらくレイニラとデイモンも。
彼らはヴィセーリスの介護には何の手も貸さなかった。物理的な距離が縮まった後も。
実は前回、レイニラとデイモンが病床のヴィセーリスを訪ねたときに「具合はどう?」とか「元気になってね」とかの体を労わるようなコメント何もなしにいきなりドリフトマークの跡継ぎ問題を切り出したのを見てドン引きだった。
ああこの人たちは「そういうキャラクター」として描写されているのか、と理解した。
ヴィセーリスへの愛情がないわけではないのだろう。王冠を落としたヴィセーリスを支えるデイモンのシーンについてはそう感じた。
でもやはりその愛情は、アリセントのように精神的に寄り添って支える類いのものではない。
レイニラにとってもデイモンにとっても、ヴィセーリスはある意味で「駒」だったわけだ。同様に、オットーにとっても。人は「駒」を愛することもできる。そこには何の矛盾もない。
たぶんアリセントだけが、ヴィセーリスを「人」として見ていた。わたしから見るとヴィセーリスは娘の友人と寝る最低のクソ野郎だが、アリセントがヴィセーリスの抱く喪失感に共感し、それに寄り添おうとしていたことはわかる。
だからこそ、
だからこそアリセントはレイニラを殺す判断を下せない。
どう考えても、国土の平安のためにはレイニラの存在はまずい。彼女が生きている以上は戦争は避けられず、そうなればどれほどの民が犠牲になるかわからない(オットーにとっては戦争回避が至上命題だ。そもそもレイニラが玉座につけば反乱が起こることを見越して別の道を模索していたわけで。そしてその予見がある程度正しいことは、町に出たレイニラがすでに見ているとおりなわけで)。
しかしアリセントはレイニラを「駒」と見なせない。ただの「駒」なら、利をとって犠牲にできるはず。
「自分が王になる気はないのか」という問いは、「すべてを駒として扱う覚悟があるのか」という意味にもなり得る。
今回アリセントがドラゴンの前で見せた覚悟は、そういう種類の「覚悟」だろうか?
彼女はどこかで他者を「人」として見ることをやめるのだろうか?
個人的には、オットーと黒装派が「駒」扱いをそこそこ徹底しているのでそれとの対比として「人」扱いは残してほしいと思っている。
けど完全覚悟完了バージョンのアリセントも見たいか見たくないかでいえばそりゃ見たい!!! どうなるのかな~!
ラリスくんの性的嗜好
このブログでも何回か書いたような気がするが、わたしはめちゃくちゃ素足フェチである。
まさかの嗜好一致にお茶を噴きだすところだった。いやわたしは誰かに直接「素足を見せていただけませんか」とか頼んだことはないことは念のため明言しておく。
6話の時点では靴をポイするアリセントに和んでいたのだが、そうか、それがそうなったか……。
そしてラリスくんの嗜好がキモいと言われまくっているのを見てめちゃくちゃ傷ついた。そうか……そりゃ普通はそういう反応よな……いやわたしは誰かに直接「そそるんで見せてください」とか言ったりしたことは決してないからラリスくんほど一線はこえてないと思うが……。
まあ冗談はおいといて(いや全然まったく冗談ではないが)、
これは障害を持つ人の性欲と性的嗜好にかなりふみこんだ描写である。おそらく製作側もかなり悩んで入れることにしたのではないかと想像する。そこにどんなメッセージ性があるのかについては、慎重に考えなくてはならない。
以前わたしはラリスくんについてこう書いた。
騎士として身を立てることもできず、足が不自由ということはダンスもできず(つまり礼儀として女性をダンスに誘うことができない=社交の場での最低限のふるまいができない)、あの世界で「男性」に求められることがほぼできない
黒髪と金髪「ハウスオブザドラゴン」1-6感想 - なぜ面白いのか
それは要するに、障害のために女性と性的な意味で交わることができないということだ。おそらく娼館に行けば処理してもらえるのだろうけれど(たとえばティリオンのように)、ラリスくんはそういうタイプではない印象だ。
ラリスくんはアリセントにきちんと同意を得てあの行為をしているはず。あれはそういう描写だったと理解した。障害を持つ人に人権なんかほとんどない時代を描きながら、望む相手の同意を得て、ビジネスではない形で性欲を処理する描写を入れたというのはやはりかなり思い切ったことだ。
しかもラリスくんの場合、障害と性的嗜好が結びついているようだ。これはもしかして余計な誤解や揶揄を招きかねない描写ではないかと心配になったが、それについては当事者以外が現時点で深入りするのはやめておこう。
わたしが傷つくのはしゃーない自覚があるが、ラリスくんと同じような障害や悩みを持つ人が流れ弾に被弾して傷つくことがなければいいなと思う。
アリセントの方は、体には触れさせないことでどうにか自分の身を守っている。
それがいいのか悪いのかはともかく、性に奔放なレイニラとの良い対比である。
おそらくアリセントにとっては、体に触れさせないことが「一線」の引き方なのだろう。「結婚前に別の男性と寝たりしてない」と嘘をついたレイニラのことが許せなかっただけに、その一線はどうしても守りたかったはず。
ちなみにわたしはただの素足フェチだが、現実世界の中世ヨーロッパにおいては足首がチラっとでも見えるのは極度のエロ描写である。首から上と腕から先以外は「何も見えない」のが当たり前の社会だったためだ。
したがってラリスくんはわたしと嗜好が一致しているわけではなく、ただの極度のエロ描写に興奮しているだけだった可能性もある。素足フェチ的にはこの区別は重要だったので一応書いた(わたし以外に重要だと思う人がいるか?????????)。
Love for House Strong ❤️ the incredible @GavinSpokes and @Ryan_Corr #HouseStrong #HouseOfTheDragon pic.twitter.com/pndkG5oSLU
— Matthew Needham (@MrMattNeedham) 2022年9月26日
ストロング家集合写真がとてもかわいい。
先月の記事だが、ラリスくんの中の人のインタビューが面白かったのでこれも貼っておく。エイダン・ギレン(リトルフィンガーの中の人)と似たようなことを言ってるのが面白い。