huluに「ベイツモーテル」や「エージェントオブシールド」が来たため、しばらく睡眠不足の日々が続きそうな今日この頃。
本日は「ハンニバル」ネタバレ感想&考察いってみよう。
事件の「投与」について
前回、このドラマは一見単発の事件を連続して解決していくタイプのサスペンスに思われるかもしれないが、そうではないと書いた。
もちろんウィルやレクター博士を探偵役とした、1~2話で完結するサスペンスドラマとして見ることも可能だ。
しかし個々の物語を独立したものとして見ると、いささか尻切れとんぼ気味に感じられるだろう。
犯人はなぜあのような異常な犯行に至ったのかとか(余談だがあの世界はシリアルキラーが多すぎ。レクター博士の影響が多少あるとしても。絶対住みたくない)、具体的にどうやってあんなことができたのかとか、いわゆるサスペンスドラマでは触れられる部分をほとんど見せずに終わることもしばしばだ。
ミステリィにおける動機軽視傾向についてはわたしが長々と語るまでもないので、ここでは割愛する。
ともかく「ハンニバル」において大事なのは、異常な事件が起こりそれがウィルに「投与」されるという部分だ。
すべての事件の裏にレクター博士がいたという意味ではない。
一部の事件は、犯人がレクター博士と(直接間接、あるいは偶然必然の別はあるにせよ)「出会った」ことにより起こった可能性はある。
弦楽器職人の彼などは、レクター博士との出会いが事件を起こすきっかけの一つであっただろう。
ただ実際には、博士は個々の事件に直接的な関与はしていないはずだ。
彼はあくまで事件がウィルに「投与」されるのを見守り、その後の経過が自分の望む方向に行くよう「診察」していただけ。
しかし毎回面白いように「そのときのウィルに投与されるべきベスト(あるいはワーストというべきか)な事件」が発生する。
脚本の都合であろうとはいえ、ウィルは確かにこの順番で事件を投与されなければS1と同じ結末にはならなかっただろう。
(もちろん別の事件が投与されていれば、レクター博士はその事件に合わせてウィルを診察し、このドラマの筋に近い形でウィルを壊すことができたと思われるが)
事件の「投与」前と「投与」後のウィルの状態、ウィルが事件を受容する過程でレクター博士の「診察」が与えた影響を整理しながらドラマを見ると、レクター博士の手腕の一端を見ることができる。
博士→ウィルの執着ぶりは見ていて胸をかきむしりたくなるほどで、博士がそれまで感じていた孤独をうかがわせる。
ウィルは本当に初めて出会った理解者だったのだろう。
レクター博士はウィルを食べたいのか
S1はこれを気にしながら視聴していたが、割とすんなり答えが出た。
博士は(少なくともS2終了時点までは)ウィルを食べるつもりはない。
これは必ずしもウィルに対して食欲を感じないという意味ではない。
博士が食べるのは「無礼な豚」。
ウィルは面白観察対象なので、食べて終わりにするよりもそばで見ていたい相手。
ひょっとしたら何かに利用できるかもしれないし(デュ・モーリア博士みたいに)、凶悪殺人鬼へと「成長」してくれるかもしれないし、もっと面白いことをしてくれるかもしれない。
自分でも想像できないようなことをしてくれそうな予感は当初からあったかもしれない。
もしかすると少しは本気で「友達」になりたいと思っていたのかも。
ウィルの背後からそっと匂いをかぐシーンがわたしのお気に入りなのだが、あれは普段からの習慣にほんの少し好意が混じっていたのではないかと思う。
孤独のハンニバル
前回の「孤独のグルメ」ネタが自分でもびっくりするくらいぴったりだったのでもう少し妄想してみた。
もしも完全にレクター博士視点でドラマが作られていれば、かなり「孤独のグルメ」に近いものができていたのではなかろうか。
たとえばこうだ。
いつもの冒頭BGMとともにレクター博士が事件現場に到着
→オープニングクレジット「時間や社会にとらわれず幸福に空腹を満たす…」
→凄惨な事件現場を見たりウィルの見立てを聞いたりするうちに「腹が…減った」
→「飯を探そう」(探索BGM)
→「俺の腹はどう満たされたいんだ」(被害者を探しながら)
→「なんだこの初めまして感は」(被害者を見下ろしながら)
→「落ち着け。俺は腹が減っているだけなんだ」(さばきながら)
→「うわあ、なんだかすごいことになっちゃったぞ」(「食べない部分」を盛り付けながら)
→「食欲がわきあがる香り」(料理しながら)
→「うん、これですよ」(食事BGM)
→「やっぱり肉はいい」(ラストスパートBGM)
こんなドラマをやったら苦情殺到である(わたしは見たいが)。
「ハンニバル」は過激なドラマだと思われがちだが、あれでも製作者の良心がかなり反映されていたことがわかった。