
「Pentiment」クリア後感想、今日はもうオチも黒幕も全部ネタバレして、言いたいことを全部言うので、絶対にクリア後に読んでくださいということで!
本日は前置きも早々に、本題に入るよ! 初回記事はこちらから!

季節はめぐる

3章後半はクリスマスイブである。ここにきてようやく、この物語はめぐる四季を表していたことに気づいた。
第1章、若き日のアンドレアスがタッシングに滞在していたのは春のことだった。フェレンツの処刑は5月、すなわち春の終わりである。キリスト教の世界観においても、春は学びと成長の時期となる。
第2章、マイスターになったアンドレアスがタッシングを訪れたのは6月、夏の始まりである。夏は成熟と試練の期間。アンドレアスは画家として成熟したが、試練にもぶちあたる。タッシングの蜂起は「試練」の頂点にあたる。夏の暑さと、炎の熱さが重なる。
第3章の前半は秋。冒頭でマグダレナが木の実の収穫をしているのが象徴的だ。秋はこれまでの努力が実り、収穫をする季節。プレイヤー的にも、アンドレアスが撒いた様々な種が実るのを眺めて楽しむことができる。
第3章の後半は冬。キリストの誕生(=新たな一年、新たな命の始まり)に備え、祝う季節。人生においては老いと総括を迎える時期。
とてもわかりやすい四部構成だった。
キリスト教の時間感覚は、しばしば直線的だと語られる(天地創造に始まり、最後の審判に終わる云々)。しかしもちろん円環的な時間感覚も持ち合わせている。アンドレアスパートでの時間経過画面(「○時課」と表示されるあの画面)がわかりやすい。
そして物語の構成全体を見ても、円環的である。旅人が訪れる春に始まり、旅立ちの春に終わる。
ついでに言うと、復活祭の時期にきっちり「復活」もはさんできやがった。おい!!!! クソ!!!!!! Scheiße!!!!! わたしの涙を返しやがれ!!!! 嘘です復活してくれて嬉しいです!!!!!!!
反乱期の調査
マグダレナは壁画の最後のパートに、反乱期の絵を描こうとしている。まだ当時のことを覚えている生存者がたくさんいる時期に「一枚絵」としてそれをまとめるのはかなり難易度が高くないか。案の定みんながそれぞれの立場からの「真実」を語ろうとする。

ロートフォーゲルの事件について当時の助祭長に尋ねたところ、彼はなんとルター派に改宗していた。マジか。まあバイエルンといえどもそういう人もいたよね!
彼はアンドレアスが見つけたメモについての情報をくれたが、プレイヤーにとっての新情報はなかった。まあ誰かが「アンドレアスしか知らない情報」をマグダレナに共有する必要があるか。

クラウスにメモのことを話したところ、心当たりがありそうな雰囲気だった。すぐに詳しく聞きたかったのに邪魔が入り、クリスマスイブのお祝いの後で話すことになってしまった。どう見ても死亡フラグです、本当にありがとうございました。このときは本当にそう思って、もうクラウスから真相を聞くことはできないんだ……と絶望した。
ここから、マグダレナはお祝いの準備の手伝いをしながら過去の事件の話を聞いていく。

ここはフェレンツが処刑された世界線なので、最初の事件をきっかけに、修道院全体への不信感が増したことが語られた。16世紀ドイツは小氷河期の影響で年間平均気温が相当下がったこともあったから、農作物が不作になるのもわかる。

彼女たちの中ではこんなふうに処理されているらしい。
いや、ペテロの放火については絶対に「最善」じゃなかったし、「正義」でもなかったよ。背後からランツクネヒトが迫る中で反乱が成功する見込みもないのをわかってて、なんとか修道院に一泡吹かせたい一心のヤケクソに見えたけどな。あの放火がなければ、全体の犠牲者はもっと少なく終わっていたはず。ただし、放火がなければ修道院体制は変わらなかったかもしれない。まあこれを書いているのは「この世に正義の形は数あれど、本を焼く行為は絶対的な悪」という偏った思想の持ち主なのだが。
でもどうやらペテロはあの暴動の中で亡くなったっぽい。そういう意味で、行為の報いは受けているとも言える。

ブラザー・エドックが故郷に帰ったことがわかり、安堵した。さすがにもう亡くなっていそうだけど、暴動に巻き込まれて亡くなったとかよりはずっとマシだ。

元修道院側の人たちはアンドレアスに好意的で(あんなにやりたい放題やったのに)、フェレンツのしたことにショックを受けていた。そしてこの宿に集まった人たちは、ペテロの放火に否定的で、同時にバイエルン兵の蛮行を語ってくれた。

マルティンを告発したことで、アンドレアスをボロクソに言う人もいた。まあそりゃそうよね……。
大修道院長に変わってあてがわれた新しい領主も厳しくて、結局何も変わらなかったという声もあった。プレイヤーの目には、一気に時間が進んだことでたくさんの変化を感じているが、中で暮らしている人にはその変化は大きく感じられないのかもしれない。
やっぱり何がいちばん変わったかって、ラートハウスに時計塔が作られたことで時間感覚が変わったことだ。それまでは教会の鐘が秩序のすべてを司っていたのが、ラートハウス、すなわち世俗世界のシンボルが秩序を担うことになった。

最初にこの画面を見たときの衝撃ときたら。
それまでは教会の鐘という「点」でしか感じられなかった時間が、等間隔で進むものになった。無秩序の余地があった世界に、秩序があまねく入り込む。「近代」まではまだ少しかかるけど、確実に「近代」の萌芽がある。そして世界の秩序化は、世界の世俗化とほぼ同義だ。時間もまた、神ならぬ人が管理するものになっていく。
アンドレアスとマグダレネの時間感覚の違いは、世界の世俗化の進行を端的に示すものだ。
ペルヒテンラウフとクリスマスイブ
24日の夜になり、タッシングの伝統的なイブのお祭り「ペルヒテンラウフ」が始まった。聖ヨハネの前夜祭に続き、あまりにもビジュアルが異教。まあこれは直球で「ペルヒタ」という異教の神の名前を出しているし、完全に異教の祭りってことでいいのかな。アイルランドにおけるハロウィンみたいな。

「ラウフ」はおそらく Lauf で、ここではランニングではなくて行進くらいの意味かな。

ペテロの息子のビッグ・ヨルクは、父親が暴力を選んだことに批判的だった。「目的が正しくても手段を間違うことはあり得る」という指摘ができる彼は冷静だし、そういう彼が今のこの町の評議会にいるのは頼もしい。

ポールだけはあの反乱を肯定している。まあわたしも彼にはそれを言う権利があると思うし、あの反乱で唯一良かったのはポールたちが前よりも幸せになれたことだと思ってるよ。

ここは結局3番目の選択肢にした。前記事ではラートハウスって食事会場になることもあるから、食欲を減退させるような絵はちょっと……と描いたのだが、どの選択肢も食欲減退になりそうだ。それにこの反乱はどっちの立場に肩入れする気も起きない。ラートハウスに残すなら、両サイドの犠牲者を悼むものが良い気がした。ビッグ・ヨルクは「壁画は悲しみを煽るためのものではない」と反対気味だったけど。
この選択を見て、ショスタコーヴィチの交響曲第11番「1905年」を思い出しちゃった。あれは「血の日曜日事件」(ロマノフ王朝に抗議する民衆に軍隊が発砲して多くの犠牲者を出した)を描いた2楽章が有名なのだけど、一斉射撃でバタバタと人が死んだ後に、動かない死体だけを静かに映すような恐ろしい場面がある。そしてその後の3楽章は犠牲者に捧げる祈りのシーンだ。
ショスタコーヴィチは1906年生まれなので、「血の日曜日事件」のときにはまだ生まれていない(11番は1957年作曲)。だからマグダレナのように、事件についていろいろな形で調べて再構築し、取捨選択の後にできたのがあの作品である。その場にいなかった「後世の人間」がこういう事件を語るならこのスタイルになるよな、というわたしの価値観は、この曲によって形成された部分が大きい。
再会
パーティから帰ってきたら、自宅に不審者が入ろうとしているのを目撃するマグダレナ。しかし家の中には誰もおらず。

もうこれ遺言じゃん……いいこと言うな……と涙ぐんだ。芸術家が作品を作り、それを発表するってそういうことよね。わたしも自分の肥やしになるものを愛して、世界と共有していくよ……(このブログで)。

そして、彼との再会。18年も修道院に隠れ住んでいたのか。
火事の中で弟子を失って、守りたかった人も守りたかったものも守りきれずに、事態を良くしようと奔走したのに最悪の事態になって、絶望の末に引きこもってしまった。
「まだみんな死の舞踏の中にいる」という言葉が重い。男爵も、ピエロも、アウグストも。そしてこれからクラウスも。
しかし、これでようやく納得できた。これは結局最後まで「アンドレアス」の物語で、だからこそ春に始まって冬に終わる。アンドレアスの生涯が反乱の日に終わるなら、あれを「冬」にしなければならなかった。そしてマグダレネという若く新しい主人公の始まりは「春」からであるべきだった。3章が始まってからそこに違和感があったのだが、これで全面的に納得できる構成になった。

この時点で、アンドレアスには真相が大まかに見えていたようだ。修道院に焼け残った本を繰り返し読んで過ごしていただろうしなあ。
ミトラス神殿
かつて地下の遺構でキャスパーが察知した、「そこにいちゃいけないような感じ」の場所がミトラス神殿だったようだ。黒幕はその場所を利用している。というわけで、アンドレアスとマグダレネが乗り込むのだが。

ヤバい幻聴が聞こえてくる。きっとこれは、この18年間彼が聞き続けた幻聴なのだろう。主に罪悪感からくるもの。
フェレンツがこんなふうに言ってくるということは、やはりアンドレアスの芸術への情熱は、ロートフォーゲルの事件の時点で失われつつあったようだ。
幻のキャスパーが「なぜ私を炎の中に追いやったのですか?」と言うのがつらい。アンドレアスにとってはそれが「真実」なのだ。キャスパーを止められるはずの立場でそれができなかった時点で、「自分が炎の中に追いやったも同然」だと捉えているから。

ここはもう大ショックだったな。マグダレネからは冷静に見えたアンドレアスの内面が、めちゃくちゃに荒れ果ててしまっているのがありありと理解できて。彼の心の中はあの日からずっと炎に包まれていて、それが消えることがない。
「避難所」として形成されたマインドパレスが、「牢獄」となってしまった。そして今やその牢獄も破壊され、追い出されようとしている。「理性の最後の残り香」も去ろうとしている。ここで作中唯一、コントローラーが断続的にものすごい振動するの。あの振動がめちゃくちゃ怖かった。PS5のコントローラーの繊細な表現力がこんなに怖かったことはない。
そして、彼は牢獄を出て迷宮を通り、外に出ようとする。でも迷宮は彼を閉じ込め、出そうとしない。狂気に押しつぶされそうな自我の表現に、こっちが押しつぶされそうになる。
そこからの「赦し」のシーンはよかったな。要は自己セラピーなんだけど。



かつて守れなかった「彼ら」を救うことはもうできない。でもマグダレネを守ることはできる。彼女を守るために、アンドレアスは自分と戦う。そしてたどり着いた「出口」で、彼は対峙する。

「あなたは借りたまでよ」とベアトリーチェは言う。教会で見た迷路の記憶が、彼のマインドパレスに迷路を作り上げたってこと? あの教会の聖画に、アンドレアスは自分の内面を視たってこと?
とにかく彼は自分の迷路の由来に気づいた=自己の客観視が可能になったことで、「この世」との接続を再び取り戻した。

そこにいたのは、マルスの石像の頭を抱えたシスター・アマリー。こっわ! 完全に「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」じゃん!
シスター・アマリーはここがローマの遺構だとわかっておらず、主に導かれて到達した精神世界だと思っている。やっぱりこの人、現代では精神疾患と診断されそうだよな……。実際、ある種の精神疾患患者が「神の言葉を告げる人」として敬われた話なんてキリスト教圏に限らずいくらでもあるし。
トマス神父が薬物を使っていた可能性もあるけど、この世界でいちばん薬草学に秀でているのはシスター・ゲルトルートだろうし、彼女の助けなくこういう症状を引き出すのは難しい気がする。

このシーンはドイツ語でやってたらあのフォントが出て「ああああ!!!」ってなったんだろうな! まあこの色の時点で「ああああ!!!!」ってなったけども。
ドイツ語ネイティブの人がどう感じたかはわからないのだけど、わたしはあのメモは女性が書いたのかな? と感じる部分があった。当時の教養ある男性の書く文ってもっと長大化する傾向があるから、「字はめちゃくちゃ高い技術で書かれてるのに文体が稚拙」という違和感があって(そんなに大量に読んだわけじゃないのであまり真に受けないでください)。それで「男性ほどの教育は受けられなかったが、ある程度の水準で読み書きはできて、めっちゃ練習したので字はきれい」という黒幕像を描いていた。
そこまで想像してて、なんでシスター・アマリーにたどりつかなかった? いや言動があまりにあやしすぎて、ちょっと黒幕が務まるようには思えなかったので。メモを書いた人と黒幕が別人とはね。

現代人からすると、こういう神話の同一視はよくあることじゃんとわかるけど、当時の彼らにしてみれば、文字通り天地がひっくり返るようなおおごとだというのもわかる。
当時の人に「クリスマスはミトラ教の太陽神の祭りの転用だよ、キリスト教を異教徒に布教する際に『お宅の神様とうちの神様は同じようなものだよ、仲良くお祝いしようね』ってことで生まれたお祭りだよ、古代のキリスト教は異教徒に寛容だったんだよね」とか言ったら良くて破門、最悪は異端で処刑でしょ。

あっごめんマグダレネはそういう教養があるんだった! でもトマス神父は「これは聖人の話だ」と譲らなかった。騎士伝説とかと聖人伝説を一緒にするなということか。まあ概ね一緒なんだけど、教会関係者にとっては一緒どころじゃないか。

このへんのトマス神父の主張はお見事。短い台詞で、現代人にもわかるように動機を語ってくれている。ここで翻訳が破綻してなくてよかった。
巡礼者を集めていた聖遺物は何だったのか。聖サティアに祈って願いがかなった人は、どう感じるか。奇蹟の源を疑うことは、教会の威信、ひいては信仰そのものを揺るがすことになる。新教の台頭によって「価値観の相対化」が一歩進んでしまったことが確実になったこの時代、それを食い止めたい人はたしかに危機感を抱くだろう。

教会としては、信仰を失った者は神による救いを得られないことになるわけだから、なんとかして皆を救いたいと考える人が凶行に走るのも……いやそうはならんやろ。救うかどうかを決めるのは神であってお前じゃない。「救われない」と決めつけるのも誤りじゃないんか(これは新教的発想かな)。まあそういうのも所詮は建前で、教会の権威、ひいては自分の地位を失うのが怖かったって話じゃないの。

こっちの動機も理解できた。やっぱりオットーが見つけて皆に見せようとしていたものが問題だったのね。シスター・アマリーの抱えてた首には思いきり名前が書いてあったもんな。

うん、まあ、文字が読めれば一目でアウトとわかるよな……。タッシングの識字率が上昇しつつあるのはこれまでにも描写されてきたわけで。
あの状況でこれが公開されていたら、聖モーリツの聖堂は何だったんや! という話になるし、教会や修道院の権威が落ちて一気に反乱の機運が高まり、いや待てよ、たぶん最悪なのはそれじゃないな。
ヴィッテルスバッハ家からの信用と後ろ盾を失うのがいちばんヤバいんだ。ヴィッテルスバッハ家がバイエルンのカトリックを守っているのは、長年にわたって聖母の奇蹟に守られてきたことになっているからで、そこがあやしいという話になったら、経済的な支援も武力的な支援も受けられなくなる可能性がある。
そうなるとこの後のアウクスブルクの宗教和議とかが全然違う様相になるかもしれないし、我々の知る歴史から大きく逸れる可能性すらあるな、これ。

これは真理。本当にそう。
だからトマス神父は、教会と遺構とともに消え去ることを選んだ。彼に「殉教」を遂げさせることしかできないのが、なんとも悔しい。
トマス神父、もっと早く疑うべきだったよなー!
だって聴罪司祭だったんでしょ、この人。町中の人の告解を聞いてるんだよね。修道士たちの分も。そんな超重要個人情報を利用して、人々を操ってたわけでしょ。犯人候補(=メモを受けとった人)が世俗と修道院の両方にまたがっている以上、黒幕は両方の秘密を知ることができる人なわけで、そんなのはものすごく限られるのだから。

今にして思えば、この画面がめちゃくちゃ象徴的だった。
画面の右側が宗教的世界、左側が世俗世界。その中央に隠されているのは、世俗世界と宗教的世界をつなぐ教会だ。ここに描かれているものが重要だったのではなく、ここに描かれていなかったものが重要だったんだ。
マグダレネとアンドレアスは、トマス神父が隠そうとしたことについて公表しないことを選んだ。タッシングの人々はまだ反乱で負った心の傷から癒えていない。あえて追いうちをかけるようなことをしなくてもいい。聖遺物の出どころがあやしいとなれば、巡礼者も来なくなって経済活動が鈍るだろう。庶民の素朴な信仰心が、どれほど彼らの日常生活を支えてきたかもよくわかる。それを奪うようなこともしたくない。
あとわたしは現代人なので、今ここで彼らがどういう選択をとろうとも、あと数百年のうちに科学的な調査が入って何もかも明らかになることとか、その頃には世俗化がさらに進んで、聖人の真相が知られても「そうだったんだー」「まあそんなもんよね」「とはいえ今まで教会にはお世話になってきたしね」「歴史的な観光名所としては今後も機能してくれるかな」くらいの話に落ち着くだろうこととかを知っている。真相が明らかになるのは、そうなってからでいいんじゃないかなと思っている。
旅立ちの春
アルプスの雪解けとともに、マグダレネはプラハへと旅立った。オッツとのフラグが立っているのかどうなのかと思いながら見守ったが、マグダレナが結婚より旅立ちの方を選んだ感じだ。

わたしはこのシーンが好きだ。彼の物語がこういう形で終わることになって本当によかった。
アンドレアスさあ、もうこれはキリストのメタファーでしょ?
厩で目覚め(まあ実際には厩じゃなくて農家の2階だけど、この際同質ってことで)、成人して弟子をとり、権威に立ち向かい、人類すべてのために自己犠牲の「死」を迎える(知の保存=人類すべてのための行為)。クリスマスイブに彼は「生まれ直し」、復活祭の時期にタッシングの一員として正式に「復活」する。
同時にこれは、他者への愛も自分への愛も芸術への愛も失った芸術家が、再び筆をとるまでの物語でもあった。そのきっかけは、彼の中に残っていた他者への愛。彼はキャスパーへの愛を捨てられず(その愛ゆえにキャスパーを失うわけだけど)、マグダレネや町の人たちを守りたい気持ちが彼を「生まれ直し」に導き、次の世代への愛が彼を「復活」に導いた。


これはピエロとの最後のやりとり。このときピエロはアンドレアスの作品を「傑作」と褒めてくれた。アンドレアスが芸術への愛を失った原因のひとつは、ここである種の「満足」が生まれたこと、そしてピエロが認めてくれた以上の作品をもう作れる気がしなくなったことではないかと思っている。
またこれ以降、ピエロ以上の師と出会うこともできなかったのではないか。アンドレアスはマイスターの資格をとってしまったわけだし。
ピエロがアンドレアスに伝えようとしたのも、よりよい作品作りのために自己と他者への愛あるまなざしを大切にせよということだったとわたしは解釈している。その両方が擦り減っていくのを自覚して、アンドレアスは絶望したのかもしれない。

でも、彼は他者への愛が自分の中に残っていることも自覚していた。だから18年間、隠れ住みながらも生きることをやめなかったんじゃないかな。大切なキャスパーが救ってくれた自分が死ぬわけにはいかないという意味で。
「死の舞踏」の絵の中にも、アンドレアスは「自分を刷り込むこと」をやっている。あれは彼が生まれ直すために必要な儀式だったに違いない。あの絵の描かれた長い廊下はアンドレアスの産道だし、迷路は聖母の子宮のメタファーだ。胎内回帰願望男、ゲームの主人公またはヴィランになりがち。
アンドレアスはもうニュルンベルクには帰らないかもしれない。この地で子どもたちに読み書きを教え、絵を教えて、真に自分が愛するものと出会い、それを世界と共有するような作品を作っていくのがいい気がする。そして数百年たってから、後世の美術史家が「バイエルンに残るこの作品はアンドレアス・マーラーによるものでは?」みたいな論文を書くというロマン。
家系図
なんとエンディングに家系図があるじゃないの。これってもしかしてプレイヤーの選択によって結構変わるのでは? 気になるところだけつまんでいくか。

新任の神父とウルスラが結婚したってこと? いや神父は結婚できないよな? 木の枝がのびていないから、婚姻関係ではない? ウルスラが教会で働くようになったってことかな?
あとヴァーツラフが火あぶりになっとるやないか!! も、もしかしてあのときマグダレネが危険思想の話に付き合ったから、あちこちであれを吹聴してまわったとか? マグダレネはヴァーツラフと一緒に旅立ったんだけど大丈夫か?

クラフトくんは立派な石工になって教会の再建に尽力したってことかな。
ヴェルナーは名前の前に Hochverehrter Doktor(高く尊敬された医師)という敬称がついている。物語のあとも良い医師であり続けたんだなあ。
エンドリスは大家族になっている。良い人と出会えてよかったよね。アンドレアスと再会したら、ふたりのキューピッドということで大歓迎されそう。毎晩エンドリスの家で食事を出してもらっていいレベル。

そしてアンドレアス・ミュラーのサインを見てまた涙腺にくる。
彼がこの絵を描くことができたということは、アンドレアス・マーラーがアンドレアス・ミュラーに絵を教えて、それが実ったということじゃん。ポールの果たせなかった夢を彼の息子が果たしたということでもあるじゃん。
そしてたぶんアンドレアス・マーラーは、ピエロの教え「作品の中に自分を刷り込むこと」もアンドレアス・ミュラーに教えてたってことじゃないかな?
この家系図の中にアンドレアス・マーラーの名前がないのがちょっと気になるけど、彼は死んだことになっているし、ここに彼の生存の痕跡を残さないでほしかったのかも。ザビーネがアンドレアスの遺産を受けとる法的手続きをすませていることは彼も予想しているだろうし、そうなると彼が生きていることがわかるとザビーネがいろいろ面倒なことになる。
いいゲームだったなあ。
2周目がやりたいなあ(いやわたしには購入したまま積んであるパラノマサイトが……)! プレイヤーの選択の結果がこんなにも丁寧に描かれるゲームだから、キャラメイクや選択肢を変えて別の結果も見てみたい。特に最初の事件の世俗側の事情がほとんどわかっていないから、あそこだけでも2周目をやりたいんだよな。また、いずれ……。
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