パッチ5.5および5.55で完全にエスティニアンに転がり落ちたわたしだが、竜騎士を無事にカンストさせた。
ニーズ槍を買ってきてミラプリしたりもした。
レベル70になってからはエスティニアンとおそろいになってウキウキで記念撮影もした。
レベル80以降は「紅の竜騎士」を意識してミラプリを赤くしてみたりした。
竜騎士でFATEをするととても強いし終わるのが早い。しかもスターダイバーするたびに暁月トレイラーのエスティニアンを思い出してニヤニヤできる。楽しい。
めちゃくちゃ竜騎士ライフを満喫しているが、まだレベル80コンテンツに出す勇気がない。もう少し漆黒FATEで実戦に慣れたらヨルハのアライアンスレイドあたりから始めてみようかな。
というわけで、以下竜騎士クエストや南方ボズヤ戦線のネタバレあり。
竜騎士クエストの結末
ちょっとこの話!!!!
メインクエストでやりなさいよ!!!
竜詩戦争ってそんなすれ違いから始まったの!?
ニーズヘッグもそのいきさつを知っていてああなったってことか。
オメガをクリアした今となっては、その脅威もわかるけど……。
このエンディング感よ。
「蒼天のイシュガルド」の真のエンディングがこんなところにあったなんて。
オメガを倒し、第一世界でアンドレイアと戦ったことで、ようやく光の戦士はニーズヘッグのことを知ることができたんだな。
エスティニアンはそのことを知っていたんだろうか。
ニーズヘッグに支配されたとき、彼の憎しみを自分のもののように感じていたと語っていたから、たぶん知っているのだろう。いつかククルカくんとふたりで米酒を飲みながら、竜詩戦争の始まりについて語り合える日が来るといいな。
5.1以降のエスティニアンは憑き物が落ちたようで、いろんなものを飲みこんだ上で吹っ切れた彼はとてもかっこいいし魅力的だ。そんな今の彼と、蒼天時代を振り返るような話ができたらとても楽しいだろうと思う。
それはそうと、きみがフレイと同じことを言うのか……!
旅はいいね……。同行者のいる旅というのもたまにはいいものだなと、蒼天以来ずっと思っている。
エスティニアンと共闘&タンクスイッチする流れも燃える。
アジムステップを訪れたエスティニアンが、緑豊かだったかつてのクルザスや、羊飼いだった少年時代の自分のことを思い出していたかと思うと泣いてしまう。
あんなにドラゴン絶対殺すマンだったエスティニアンがこんなことを言うようになったんだなあと。そこから5.5の話につながり、暁月に至るのだろう。ヴリトラとエスティニアンがどんなふうに出会ってどんな信頼関係を結ぶことになるのか、今から楽しみだ。本当に竜騎士クエストをやっておいてよかった。
今では暁月のトレイラーを見るたびに、ヴリトラの背に乗って現れるエスティニアンで涙ぐんでいる。いやそれ以前に日々のエキスパートルーレットでパガルザンに当たるたびに、ティアマットの背に乗って現れるエスティニアンで涙ぐんでいるのだが。
「来たな、相棒!」の声が聞こえるたびに嬉しくなるし、モブ兵が「あれが蒼の竜騎士…」と呟いているのを見て毎回複雑な気持ちになる。エスティニアンは蒼の竜騎士を廃業したはずだが、周囲からはきっとこれからも「蒼の竜騎士」と見られ続けるのだ。たぶんイシュガルド(というかたぶんエオルゼア全土)の教科書で「蒼の竜騎士エスティニアン」は太字で書かれているだろうし。マメットエスティニアンはイシュガルドの教育機関に配布されているようだし(アイメリクが手配したのかな……)。
「セイブザクイーン」クリア!
さてここから話は変わって、セイブザクイーンをクリアした話。
ついに光る杖を手に入れたぞー!!!
コンテンツ周回が割と好きな人なので、毎日ちょっとずつあちこちまわって記憶やら遺物やらを集めていった。久しぶりに行ったオメガとか、楽しかったなあ。楽譜がちっとも出なかったのが悲しいが。
今は銃のレジスタンスウェポンが最終段階なので、こちらももうしばらくすれば完成するだろう。竜騎士の武器もかっこいいから三本目を作ろうか悩んでいる。気が向いたらチャレンジするかもしれない。
「セイブザクイーン」コンテンツ全体をクリアして思うのは、「セイブザクイーン」ってタイトルでこんな話ってある!!!?!?!?(号泣)である。
FF的伝統を考えると、おそらく「セイブザクイーン」というタイトルで最強の武器にまつわる話を書けというお題でできたのがこの話、ということなんだろうか。すごい。
そしてつらい。
貧困も裏切りも信頼も成就しなかった恋も妥協できない対立もテンパード化も肉体改造も女王としての矜持も何もかもつらい。
わたしはグンヒルドの初回突入時からしばらく、全然余裕がなくて(あの死の宣告システムはノーマルレイドに必要だったか!?)気づかなかったのだが、あるときふと自分が戦っている敵が「グンヒルドの剣」のみなさんだったことに気づいて膝から崩れ落ちるような感覚に襲われた。何それ……何それ……
これは「教育」というシステムがいかに重要かという話でもあった。これは紅蓮時代からずっと語られている。
占領支配下における同化教育は様々な問題を引き起こすが、同時にどんな教育であれそれを受けられたことによって救われる子供たちが多くいることも理解できるのだ。ミーシィヤ以外にもたくさんの子供が帝国式教育で救われ、「まっとうな」仕事につくことができたのだろう。それはボズヤの王政ではかなわなかったことだ。
帝国は教育にとても力を入れている。帝国魔導院も、ネロさンのような地方の優秀な子を飛び級で入学させたりしている。それに対してエオルゼア側には、あまりそのような描写が見られない。おそらくプレイヤーの歩ける範囲外には教育施設もあるのだろうが、それにしたって描写は薄い。プレイヤーが見られるのはドマ町人地に寺子屋ができたことくらいかな。
今となってはそれも、建国の祖エメトセルクの思想に基づいた方針だったのかという気がする。彼は効率よく帝国の領土を広げるために王政という形を選んだが、同時に優秀な人材を発見・採用することも「効率」のためには大事だとわかっていた。人間たちの「身分の上下」など、古代人にとっては等しく価値がない(そもそも古代人は誰もが対等な社会を築いていたはずだし)。だからこそ身分の上下を問わず教育の機会を与え、優秀な者は採用するシステムを作り上げた。何もかも、世界をあるべき姿に戻すため。
そのシステムの末端で、救われたり、不幸になったりする者たちがいる。
そういう話なんだなあ。
この展開には驚いた。個人的にはFF14においてはシドさんに限らずNPC同士ではあまり関係性が成立してしまうよりも、妄想の余地を残してもらえる方が嬉しいかな。ある日突然アリゼーちゃんが彼氏を連れてきたら立ち直れない。アリゼーちゃんの彼氏候補は光の戦士の面接を通してもらいたい(何の話?)。
あ~ネロさンに獲られちゃうんですねわかります(棒)。
ここで妙に恋愛話をふってくるな? といぶかしんでいたのだが、ラストのための前振りだったとわかってまた膝から崩れ落ちた。
何もかも終わったあとに話を聞きに行ったらこれ。
ああ、彼に話しかけてよかったと思う気持ちと、聞くんじゃなかったという気持ちの両方がある。いや物語理解のためには聞いておくのが正解だったのだが、彼のこの言葉ひとつで後味やら余韻やらがもうわけのわからない状態になってしまった。つらい。
リリヤのこのせりふがさあ! 最後の最後になって効いてくるんだよ!!!(号泣)
うう……リリヤもがんばったよね。最後にほめたら泣かれてしまうシーンで、こっちもちょっと泣いた。
今気になっているのは、あのエンディング後、帰ってきたシドさんがネロさンとどんな話をしたのかについて。
ネロさンの方がシドさんのことをよく見ているから、ネロさンの方から「一区切りついたみたいだな、ガーロンドォ……」とか声をかけそう。まずいコーヒー飲みながらふたりで語ってくれ。
シタデル・ボズヤ事変が起こったのは現実時間でもう10年近く前のことだろうか?
まさかあの事件の真相が今になって語られるとは思っていなくて、あの導入には驚いたものだ。
ハイデリン各地にばらまかれた伏線、サブエピソードが次々と回収されていくのを見て、ああ終わりが近いのだと感慨深い。
「セイブザクイーン」のラストは「またアラグか!」ではあったのだが、ここにきてあえてまたアラグ帝国を意識させてくるあたり、もしかしたら暁月でアラグ帝国についても何か判明するのかもしれない。
漆黒で明かされた「アラグもまたアシエンの作った帝国」という情報以上の何かが、もしかしたら語られるのかも。クリスタルタワーに行くたびにあれこれ想像をめぐらせているのだが、暁月クリア後にはまた新鮮な気持ちでクリスタルタワーに行くことになる……のかな?
さてセイブザクイーンはクリアしたことだし、次はエウレカに行くか……!(先日初めて足を踏み入れてきたところ)