元旦早々に見に行った「キングスマン」のおかげで血と硝煙の匂いのするお正月になったわたしだが、本年もよろしくお願いします。
キングスマンシリーズは1作目から追っているので今作も楽しみにしていた。
「むちゃくちゃやりよるwww(世界史的な意味で)(もちろんアクション的な意味でも)」と手を叩いて爆笑して、同時に死んでほしくない人が伝統芸能のように当たり前の流れで死んだので普通に意気消沈して、どんなテンションになればいいかわからないまま、まあハイテンションで帰宅した。
この作品はMX4Dでアトラクション的な楽しみ方もしておきたいと思ったわたしは先日ウキウキで再度映画館に行ってきた。
で、開始数分でとあるセリフを聞いて、脳内で悲鳴をあげてのたうちまわった(映画館なので実際にはおとなしく白目になった)。
今日書くのはその2回目感想のメモ。
ネタバレ全開につき注意。
墜ちたイカロス
何に悲鳴をあげたかって、冒頭から12年後のオーランドとコンラッドが「イカロス」の話をしていること。
「イカロス」といえば、自らへの過信から死を迎えることの象徴。
そういえば初見時もあのシーンを見て「こりゃどっちかが死にますわ」と思っていたのだった(まあ「キングスマン」なので……)。ラスプーチンのおかげでそんなことすっかり忘れてたけどな! ガハハ!
太陽という「理想」に燃え、忠告を聞かずそれに近づきすぎたために死んだ若者。神話の方のイカロスも、父親から「太陽に近づきすぎてはいけない」と言われていたんだよな。最序盤から彼の結末は示唆されていたわけだ。
コンラッドはイカロスのことを「何かから逃げて太陽に向かった」と解釈していた。それはこの作品において何を意味するのか。イカロス=コンラッドは、何から逃れて死んだのか。
さまざまな解釈が可能なところではあるが、結局のところ彼は「大人になること」から逃げていたのではないだろうか。少年性からくる無謀さは、神話のイカロスが象徴するものでもある。
あれだけ「早く大人扱いされたい」と願い、戦場に出たがっていたコンラッドだが、まさにその思考、行動こそが彼が「子供」であることを示している。
この戦争にどんな意味があるのか。それは本当に名誉ある戦いなのか。人を殺すことは自分にとってどんな意味を持つのか。評判 reputation と人格 character の間にはどう折り合いをつけるべきか。恵まれた環境にある自分だからこそできる戦いはないのか。迫る戦争に対して、国はどんな決断をすべきか。国と国民はどんな関係であるべきか。
そういった数々の問いを避け(全部コンラッドが入隊する前に示されていた問いだったはず)、「国のために命を捧げる」という単純でわかりやすいお題目に従って、彼は入隊した。
コンラッドが「この物語の主人公」であれば、彼は戦場を経験することで成長し、やがて親を乗り越えて一人前になっていくことになっただろう。「キングスマン」1作目の物語はそれに近かった。だがシリーズで同じことは2度やらないよな。
無為な死の数々
第一次大戦の描写は、徹底して「無為な死」を描くものだった。そこに「名誉ある戦い」「名誉ある死」はなかった。
兵たちは命令に従って相手も見えないまま突撃し、片っ端から銃撃の的になって死んだ。銃も大砲も、撃ち方のことは見えない。自分が人格を持った誰かを殺しているという感覚は薄い。白兵戦で相手の顔を見ながら殺した(あそこだけドイツ語で Bitte nicht... って命乞いされてるんだよな)ことで、コンラッドはようやく父と同じ視点に立つ。だがもう遅い。
さらにイギリス兵が味方から撃たれて死ぬ描写が、合計3回はあったはずだ。わたしは普段戦争映画を嗜まないので詳しくないが、短時間でこの天丼ぶりは普通の戦争映画としても多いのではないか。
ユニオンジャックを振りながら走ってきた味方が敵味方からの砲撃と銃撃を受けて死ぬ。コンラッドを助けるために発砲した上官が敵味方から撃たれて死ぬ。最後にコンラッドが味方から撃たれて死ぬ。
この「無為な死」の連発っぷりはもう、この戦争を「無意味なもの」「人間から人格を奪うもの」として描くのに徹した結果だと思われる。
戦争は「大人になるための試練」でもなんでもなかった……そういう描き方だった。
「1812」にまつわる小ネタ?
ロシアパートは本当に豪奢で、会話の殴り合いも面白く、これがやりたかったんやろなあ……と思わせる内容だった。その末に、あの「1812」にのって繰り広げられるバレエアクション。わたしは爆笑した。
ただ「1812」はフランスとロシアの戦いを描いた曲なのに、イギリスとロシアの戦いで使っちゃうの? という気はした。で、確認してみたところ、ショーラを演じたジャイモン・フンスーはベナンの出身で、フランスで育ったとか。ベナンは独立前はフランスの植民地だった。もしかしたらショーラ自身もフランスの植民地出身だったり?
「1812」を採用した最大の理由は「派手だから」だと思うが(1作目の「威風堂々」に釣り合うだけの音楽でなければいけないし)、もしかしたらそういう小ネタも含まれていたりするのかな。
それにしてもジャイモン・フンスーのアクション映えすることよ。
ラスプーチンとの対決も見ごたえがあったが、終盤にエレベーターの重りに飛び乗るところから敵の首を斬り落とすまでの流れにほれぼれする。
彼は「キング・アーサー(2017)」ではベディヴィア役で活躍しているので(マーリンではない)、未視聴の方はぜひそっちも見てくれ。
アーサーの「エクスカリバー」
さて序盤の「イカロス」でこの作品の物語構造を察知したわたしは、もうひとつの要素に注目した。「イカロス」の物語が作中できちんとなぞられているなら、「アーサー王」の物語もなぞられているはずだという確信があった。少なくとも「エクスカリバー」を象徴する何かは必ず登場するはずだと思った。
そのつもりで2回目を見ていて、やっと気づいた。
この作品における「エクスカリバー」=ヴィクトリア十字章である。
作中にヴィクトリア十字章は2つ出てくる。1つはオーランドが前の戦争で賜ったもの。もう1つはコンラッドが賜ったもの。アーサー王伝説のエクスカリバーも(諸説あるが)、石に刺さったものと湖の淑女からもらったものと2本ある。
オーランド=アーサーは、長く「エクスカリバー」を手にしていたが、それは石に刺さったままで抜くことはできなかった。彼は戦うことを避けていたから。アーサーに剣を抜かせたのは、2つ目の「エクスカリバー」、つまりコンラッドの十字章であり、コンラッドの死である。そして最後にモートンの命を奪ったのはコンラッドの十字章。
イカロスの翼は失われたが、それがエクスカリバーとなって父親を「アーサー」にしたんだな。これはそういう物語だったわけだ。
もうひとつの「イカロス」
さて最初にこの作中における「イカロス」とはコンラッドのことだと書いたが、実は「イカロス」はもうひとつあったのではないかと思っている。
それは力を誇示し自らの破滅を招いた西洋列強。彼らは戦いから名誉を奪い人間から人格を奪う、近代兵器を用いた。イカロス神話といえば、少年の無謀さを象徴するものであると同時にテクノロジー批判の側面もある。
冒頭でイカロス神話を示すことで、作品全体にそういう意味付けを与えているのではないか。
今後の展開
「キングスマン過去編」であるところの今作は、これまでのシリーズとは少し毛色が異なった。これは今後の「キングスマンユニバース」のための展開のひとつだったりするのだろうか。過去編の続編も作られそうな終わり方だったし。
現代版では面白ガジェットを活かした荒唐無稽なスパイアクション、過去編では史実ネタを活かした(ラスプーチンが毒を盛られても撃たれても起き上がってくるのも史実ネタである)荒唐無稽なスパイアクションの二本立てで展開していくつもりなのかも。今作がそのヴァリエーション1作目ということになるのかな。今後の展開が楽しみでならない。