「ペルソナ5 ザ・ロイヤル」をプレイ中の現在だが、先日「ペルソナ3 THE MOVIE」を一気見した。
P5Rの初回記事にも書いたとおり、わたしは数年前にP3を年末くらいまでプレイしている(VitaでやっていたのでたぶんP3P)。P3が途中なのにほかのゲームが発売されてしまい、そちらに手を出して戻ってこなかったのだった。
自分なりに中断してしまった理由を思い出すと、延々続くタルタロス探索に飽きたのと、この先をプレイすると精神に重篤なダメージを負って社会復帰に時間がかかる予感がしたからだったような気がする。
我ながらものすごくひどいタイミングで中断していた記憶だけは抱えており、いったいどんな結末なのかはずっと気になっていた。
そしたらU-NEXTに映画版が全部そろっているのを発見したので、思春期に「ペルソナ3」に直撃し現在「ペルソナ3 リロード」をプレイ中の友と一緒に鑑賞することとなったのだった。
そしてそこから間をおかず、友がP3Rをクリアするというので、画面共有で一緒にラスボス戦とエンディングを鑑賞した。
怒涛のP3祭りの結果、案の定精神に重篤なダメージを負って仕事中もずっと「キミの記憶」が頭の中を流れ続ける事態になり、感想考察サイトなどを読み漁ること数日。一向に症状が改善しないので、自分のセラピーのために感想を書くことにした。
そんなわけで以下、映画とP3Rのエンディングまでのネタバレ感想!
石田彰が飽和する幸せ
石田彰ファンとして、最初にこれだけは言っておかねばならない。
こんなにも耳が幸せな映画がかつてあっただろうか。右を見ても左を見ても石田彰。
石田彰が石田彰と出会って石田彰と友達になり、石田彰と対決するお話である。しかもどの石田彰も少しずつ違う。最高か(同一にして別個とかいう哲学的に難しい役をよく演じ分けられたよな……)。現時点で映画は2周しているが、あと何周するかわからない。
存在してくれたことに対して全力で礼を言うしかない作品である。
「契約」とは何だったのか
自分でプレイしていた当時から気になっていた謎がこれ。
ゲーム冒頭で、理くん(映画に準拠して主人公は結城理で表記する)はファルロスくんの契約書にサインする。
この契約にはどんな意味があったのか。ファルロスくんはどんな意図で理くんに契約させたのか。長年の疑問にようやく答えらしきものが出たので書いてみる。
まずこの契約内容は、理くんに「1年を与える」もの(冒頭に「1年間――その与えられた時を往くがいい」と出る)。理くんをベルベットルームの客人とするもの。そして理くんが最後にどんな結論を出そうとも、それに責任を負わせるもの。
この内容から察するに、ファルロスくんは4月の段階で、あの結末を想定していたものと思われる。つまり「愚者」たる理くんが12のアルカナを経由して、13番目のアルカナである「死」を乗り越え、「宇宙(世界)」のアルカナに至る可能性を。理くんが「宇宙」に至ったときにイゴールが「契約は果たされた」と言っているしね。この結末を引く可能性は限りなく低いと見込んでいただろうけど。
最初はもしかしたら「自身の復活」が目的だったのかもしれない。ファルロス、すなわちデスの復活のためには、飛び散った12のアルカナを倒す必要がある。自身が理くんの中に封じられて外に出られない以上、それを倒すのは強力なペルソナ使い以外にいない。だからファルロスくんは理くんを強力なペルソナ使いにすべく、契約を結ばせた。
12の大型シャドウとの戦いを「試練」と呼ぶのも、理くんがそれを「乗り越える」ことが前提の言い回しだ。ファルロスくん側から見れば、その「試練」は自分を解放するためのもの。そうであると同時に、「愚者」が「宇宙」に至るための旅路でもあった。
もしファルロスくんが何もしなければ、SEESは12のアルカナを倒しきれず、デスの復活はなかったかもしれない。
ただファルロスくんが何もしなかった場合、理くんは4月の段階で死んでいてもおかしくないように見えた。4月の理くんは無気力症も同然の状態だ。あのまま影時間をひとりでうろついていたら(うろついていなくても)、短期間のうちに本格的に無気力症になっていたのではないか。
プレイヤーが介入できるゲーム主人公としての彼や、他媒体での彼はまた違うのかもしれないが、映画主人公である理くんについてはそういう描写だったように感じた。
それどころか、理くんのボディがデスを封印しきれなくなって死んでしまう可能性すらあったのではないか。
ファルロスくんが何もしなければ、デスは遅くとも1学期中には復活して滅びを撒くことができたのではないか。
(この説を採用すると、幾月さんが理くんを呼んだりしなければ自然と滅びが訪れていたはずなので、なかなか皮肉なことになっていて面白い)
だからこそ、ファルロスくんは理くんに「1年間を与えた」のではないだろうか。
10年前に理くんの中にデスが入ってから、理くんは人が変わったようになったらしい。両親を目の前で失った経験が少年の人格に影響を与えないわけがない。しかしそこにはデスの影響も少なからずあったはず。
無気力で、何もかもに無関心で、自分の生にすら執着がない10年間。そのことへのお詫び? 償い? として、デスは彼に「追加の」1年を与えたのでは。それができたのは、理くんのボディが物理的にタルタロスの近くに移動して、デスの力が強まったから。
12のアルカナをたどるたびに、デスは少しずつ解放され、同時に理くんの心もデスから解放されていった。少しずつ「本来の理くん」に戻っていったということもできるかもしれない。
彼は笑ってた。泣いてた。怒ってた。4月の彼はそんなことしそうになかったのに。それは彼の心の成長であると同時に、デスからの解放でもあった。
理くんの成長とファルロスくんの成長は重なっている。ファルロスくんもまた成長し、理くんと「友達」になりたいと願うようになった。ただ死を宣告するだけの存在が、感情を得てしまうというあまりにも重い悲劇である。
理くんの精神がデスに引っ張られて閉ざされてしまっていたのと同様に、ファルロスくんもまた理くんの精神に引っ張られて人間的になっていったということだろう。友いわく、「ファルロスくん」はデスな部分と理くんのペルソナな部分を同時に持っているのではないか、らしい。それもありえると思う。
デスはいつ「生を望む」感覚を知ったか
ここからまたちょっと視点を変えて。
デスは集合的無意識から死への志向性を感知する存在だったとか。「死」という概念そのものであるニュクスのもとで、彼は「生きたい」なんていう感情が存在することすら知らなかったに違いない。
ではそんな彼が、「生きたい」という願いをどうやって知ったのか。あるいは「生きてほしい」という感情をどうやって手に入れたのか。
わたしの中では理由は複合的だ。
まず10年前、デスはアイギスによって封じられ、弱っていたと考えられる。そのとき初めて「生きたい」という望みが意識にのぼった。
もうひとつは、デスが理くんの中に入る直前、理くんの母親が遺した言葉。「生きなさい」という願い。理くんはこの言葉を忘れてしまっていたけど、消えてしまったわけではなかった。彼の心の中には母からの愛が残っていた。ファルロスくんは理くんの中で「愛」を知ったわけだが、その「愛」は彼の母親から受け取ったものだった。むしろ、デスが「愛」を知ってファルロスくんが生まれたのかな。ある意味で、理くんの母親こそが世界を救ったともいえる。
そして12のアルカナをたどる中で、理くん自身が次第に「生きたい」「友達に生きていてほしい」という感情を獲得していったことの影響ももちろん大きかったはず。映画を見る限り、理くんの感情は「自身が生きたい」よりも「友達に生きていてほしい」の方に振れている(だからこそのあの結末なわけで)。理くんからそういう感情を学んだファルロスくんは、当然同じ結論に達する。「友達」には「生きていてほしい」のである。「自身が生きたい」よりもはるかに。
綾時くんのあの口ぶりだと、彼は「命の答え」をすでに知っていた。知っていたからこそ理くんに「契約」を促したのである。でも「デス」がもともと「命の答え」を知っているというのはなんだかおかしい(「デス」だからこそ「命の答え」を知っているという考えもアリだとは思うのだが)。
では彼がどこから「命の答え」を知ったかというと、理くんの母親からだったのではないか。自分のすべてと引き換えにしても誰かを生かしたいという感情。デスは理くんの中で「命の答え」に触れてしまった。
死を告げる者が、命の答えに触れてしまうという大いなる自己矛盾。どれほどの絶望と苦悩があったんだろう。その末に彼が出した結論が、自分がその人生を台無しにしてしまった理くんの選択にすべてをゆだねるというものだったわけだ。それがファルロスくん、すなわち「デス」からの精一杯の「生きなさい」の表現だったんじゃないかな。
母親の「生きなさい」は、最後に理くんの「生きろ」という言葉につながっている。「母親はなぜ最期に笑ったのか」という理くんの疑問は、理くん自身があのときに浮かべた笑顔が答えとなる。それこそが「命の答え」だった。
ただこの母親絡みのシーンは、映画のオリジナルらしい。ゲーム的にはあくまで「アルカナをたどる旅の終着点」としての「命の答え」だということだ。でもわたしは、映画のこのアレンジはとてもきれいだと思う。いいんじゃないかな、母親からの愛が、「アルカナをたどる旅」を後押ししてくれたってことで。択一ではなく、併存できる説だ。
理くんは最後のペルソナを、銃を持たずに召喚した。P3のペルソナは「死と向き合う」ことで召喚されるものだということは、あのときの理くんは銃なしで、眼前にあるのが「自分の死」であることを覚悟してあそこに立っていたということになる。
望月綾時に狂わされる
ここまで書いてきてようやく自覚したのだけど、わたしは「理くんの選択」よりも「デスが抱いたであろう葛藤」の方に深いダメージを受けてるな?
特に、ようやく受肉して理くんと「別個の存在」として「友達」になることができた「綾時くん」が、記憶を取り戻してどれほどの絶望と葛藤に苛まれたかを考えると、胸をかきむしってのたうちまわることしかできない。もうだめだ。
理くんにとってデスは「出会ってしまった」ものだったし間違いなく運命を捻じ曲げられた存在だったけど、もしかしたらそれ以上に、デスにとっても理くんは「出会ってしまった」、「性質を変えられてしまった」、「運命を変えられてしまった」ものだったんだ。
「死神が人を愛してしまったら」……これってそういう物語でもあったんだよね。
エンディングの「キミの記憶」は基本的にはあの世界に遺された人たち(特にアイギス)から理くんを思ってうたわれているものだと思うけど、同時に綾時くんから理くんを思っている歌詞でもあるんじゃないかな。
「わたしのこの手で眠りなさい」「かけがえのないときと知らずにわたしは過ごしていた」云々って、完全に綾時くん視点でもあてはまるっていうかむしろ綾時くん視点の方がしっくりくるというか……(アイギスの二人称は「あなた」で、ファルロスくんや綾時くんの二人称が「キミ」だったし)。
同時に、理くんから綾時くんに向けた歌詞だとしてもうまくあてはまるところもあったりして。特に「翼」は綾時くんのものだから。
あの橋の上でデスとしての綾時くんと向き合ったとき、綾時くんが「僕はそもそも人間ではないんだ」と言ったとき、理くんが「望月綾時!!!」とフルネームで呼びなおすのがすごく好きだ。綾時くんが何だとしても理くんにとって彼は「大事な友達の綾時」なんだって宣言。「俺はお前の友達であることをやめないから、お前も俺の友達であることから逃げるな」とでも言うような。
本当にね、あのときの綾時くんの気持ちを考えると世界が5回くらい滅びそうな絶望を感じてしまう。なんでわたしは人間ではなく死神視点で苦しんでるんだ???????
わたしはね、綾時くんも一緒に桜を見たかったよ。秋と冬しか知らない綾時くんに春と夏を見せたかったよ。
ファルロスくんは理くんの中から春と夏を見ていたのだろうけど、肉体をもって世界に存在しているのとは、全然違うだろうから。春の日差しの暖かさ、命の芽吹く匂いを彼にも感じてほしかった。昨今の夏の殺人的な日差しは別に感じなくてもいいけど、でもそれだって肉体があるからこそ感じられるものだ。
せっかく友達になれたのに。せっかく愛を知ったのに。その先にあるのが「僕を殺して」だなんてあんまりだ。ともに生きられる未来はどこにも存在していないなんてあんまりだ。
神木秋成くんの書く「ピンクのワニ」は理くんであり、綾時くんでもある。命は、理くんと綾時くんの遺した涙の湖で生き続ける。彼らのことなど知らずに。
一生懸命読める文にしようとがんばってるけど、これ書きながらわたし、読者さんにドン引きされるくらい大泣きしてるからね。
陰陽の関係
ちなみに理くんと綾時くんは陰陽の関係にある。
性格的にも陰と陽だけど、外見的にも。理くんは前髪が長くて顔の半分はいつも隠れている。一方の綾時くんはあの愛らしいおでこを惜しげもなく全開にしている。デザイン的にもちゃんと対極の関係だ。
あとなんとなく、理くんのキャラクターデザインはこの太極図からきているのかな、なんて。ペルソナを呼ぶときの片目だけが光る理くんを見るたびに、この図(を90度回転させた状態)を連想した。
主人公の生死
普通に考えれば、すべての描写が理くんの命はあそこで尽きたという結論を指し示している。
でもこれがジュブナイル作品であることを考慮に入れると、すべては「少年が自我を得て大人になること」のメタファーであるという解釈も可能になる。
世界に関心がなく、自分にも関心のなかった少年が、大切な仲間を得て成長し、自尊感情を育て、世界に目を向けるようになり、「少年としての自分の死」を迎えることによって「大人の男性」へと生まれなおす。
ニュクス・アバター戦は少年が大人になるための通過儀礼としての「神殺し」というやつである。
そっちの解釈も(いろいろな描写に目をつぶれば)一応可能なだけに、ゲームの後日談で主人公の生死が確定されているのは個人的にはちょっと興ざめな気はする。
とはいえ、これだけめちゃくちゃに心乱された作品なのだし、いずれP3RはDLCまで含めて改めてやってみたいと思っている。わたしのゲームスケジュールは、2024年の出だしから遅れる一方なのでいつになるかわかんないけど。タルタロスの仕様もだいぶ遊びやすくなっているようだし、今度こそクリアまでいきたいものである。
あー、でもやっぱり書いてみるもんだな。
なぜこんなにもめちゃくちゃに心乱されるのかよくわからないまま夜な夜なぐしゃぐしゃに泣いていたのだけど、言葉にするとちょっと焦点が合ってきたというか。セラピーだね。
よし! これからは焦点を合わせて号泣できるな!(世界が5回くらい滅んだような絵文字)
ちなみに昔この記事で考察したのをきっかけに各アルカナについての基礎知識がついたおかげで、ペルソナシリーズほかタロットカードモチーフ作品の理解が深まった思い出。タロットカードはゲーマーの基礎教養かもしんない。