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Life Will Change!「P5S」クリア後感想

P5Sクリアしたーー!!!

楽しい夏休みだった!

レギュラーのペルソナシリーズを知っている人にとってはあそこまで濃密でボリュームのあるストーリーではないけど、サクっと遊べるライトなアクションゲームとしてとても面白かった。そしてP5で成長を遂げた怪盗団のみんなのその後が見られたことが嬉しかった。ファンディスクとしても素晴らしい作品である。まさに「楽しい夏休み」というのがぴったりくるゲーム。

まだリクエストで登場するボスが残っていたり、クリア後要素(あるのかな?)とかには手をつけていなかったりするが、エンディングまでのネタバレ感想を書いてみよう。

ちなみに終盤まできてスクショ撮影禁止区間が始まり、またか!! と頭を抱えた。おかげでまたノートに手書きで記録をとることになった。そういうわけで肝心のラスボス戦からエンディングにかけては、不確かな記憶とクソ汚いメモに頼った感想になることをご了承いただきたい。

 

 

 

 

浴衣男子

 

一ノ瀬久音の動機

渋谷に現れた深淵のジェイル。見た目がめちゃくちゃメメントなんだが、そもそもの性質がメメントスとほぼ同じってことでいいのかな。決して手抜きとかではない。

そこで待っていたのは一ノ瀬だった! そらそうよ! 近衛の会見を見たはずなのに何も連絡なしっておかしいもの!

でもジェイルに招待されておでかけしながら、鞘くんたちにあんな納品リクエストを送ってきたのだと思うとちょっと笑える。

EMMA=聖櫃≒ヤルダバオトという構図は、P5との相似を考えればそれ以外にない感じ。

一ノ瀬がEMMAを作った動機、事態がここまでに至った理由は思ったより単純な話で、要は「自分に対して『心がない』と言ってきた連中も、実際は『心がない』状態を望んでいたことを証明したい」ということだったみたい。

こんなことを言いだしたときは、もっとサイコパスなキャラなのかと思ったけど全然違った。

子供の頃に両親を一度に失ったPTSDと周囲からの無理解によって、心を閉ざしてしまったという、まあまあ起こり得る話。彼女に必要だったのは適切な支援である。行政・医療・福祉・教育機関のいずれかが適切な支援をしていれば、こんなことにはならなかったはず。どう見ても支援が必要な子供だったことは明らかなのに、必要な支援につなげられなかった保護者と学校が無能。

しかし一ノ瀬も一ノ瀬で、子供の頃ならともかく、ある程度大きくなれば、自分に投げかけられた心無い言葉(まさに「心」「無い」言葉だよ)を深く記憶して「反発心」や「抵抗心」を募らせていたなら、それこそがまさに「心がある」証拠だと気づきそうなものじゃないの。それこそが「心」ってもんだろ。

本当に「心というものがない」人なら、心無い言葉に対して何の感情も抱かず、心に何の波風も立たず、特別記憶に留めようとも思わないわけ。彼女くらい賢い人なら、その程度のことにどこかで気づきそうなものなんだけどな。

でも割と早い時点でAI開発に目覚めて、そっちに全面的に思考のリソースを割いてしまったために、自己分析が不十分なまま大人になってしまったって感じだったのかも。

だからわたしの解釈では、彼女は「自分も他人も本質的に違わない」ことを証明したくて、EMMAによってネガイを奪い、人々を何も望まない「人形」にしたのだということになる。それが彼女にとっての「復讐」でもあったという。

でもそもそもその「~したい」という感情こそがネガイであり、心であるはずで、そんな願いを抱く時点で市ノ瀬はほかの人たちと本質的に違わないんだけどね。

で、そういう願いを持つ理由は何かっていうと、それは「自分みたいな人は世界にたったひとりだと思うと寂しいから」「人と違っていることによって排除されるのは寂しいから」「(おそらくは彼女の理解者であった)親ともう会えないのは寂しいから」ということだったんじゃないかな。

 

 

人工知能と自由意思

ソフィアのペルソナ覚醒シーンもよかったねー! PANDORAの文字が見えたときはやっぱりキター!! と思った。「聖櫃」に対抗する箱だ!

先に Person of Interest とか Westworld のような、もっとがっつりAIと自由意思の問題を扱ったドラマを見ていたので、ソフィアのAI描写はどのへんまでいくのかな~と思っていた。なので「人の良き友人」エンドについてはなるほどジュブナイル、という感想。

そうね、P5のテーマが「思考を放棄するな」で、その延長にあるP5Sも「願うことを放棄するな」だとすると、人から思考や願いを奪うAI=神が破壊され、人々のもとにネガイが帰っていくのは良い帰結。

でもそもそも人の抱く願いってそんなにたいそうなものか? とも思ってしまう程度には、わたしは人類への希望を失っている。人の願いの大半は、世界を「内と外」に分けて、「内を守り外を攻撃したい」って内容に集約されるんじゃないかな。

家族や友達は守りたい、だからその敵となるものは排除したい。

自分の所属しているコミュニティは守りたい、だからそこに入り込む異物は排除したい。

人類の歴史ってずっとその繰り返しで、戦争だろうがネット上の炎上騒ぎだろうが全部その心理から生まれるものでしょ。

一ノ瀬が排除・攻撃されたのも、「友好的で理解可能なコミュニケーションをとれる人=内」と考えるコミュニティにおいて、彼女の言動が「理解不可能な異物」と解釈されたからでしょ。

一ノ瀬の動機も「自分もみんなにとっての『内』のひとりであることを証明したい」って言いかえられるでしょ。

そういう願いを「自由意思」って呼ぶのかな。本当に? 人類のコードに書き込まれた単純な基本衝動じゃない?

自らの意思で基本衝動を書き換えて願いを選択する機会がある人なんて、全人類の何%だろうな。もちろん、そのほんの数%を守る意義はわかるのだけど。

ちなみに人間の願望とAIとの付き合い方を考えるストーリーを大人向けに書いたドラマ「Westworld」のシーズン1が公開されたのが2016年で、P5Sの発売が2020年。

当ブログでもネタバレ感想を書いているのでよかったらどうぞ(早くS4を見なきゃ)。

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ここでちゃんと「自由意思と基本衝動の書き換え」に該当する台詞が挿入されてるんだよね。

ソフィアは「人の良き友人であれ」という基本衝動自体は書き換えられていないけど、「一ノ瀬の命令に絶対服従」という基本衝動は書き換えた。それから「今後も鞘くんのそばでいろいろ教えてもらう」という願いを書き換えて「一ノ瀬の良き友人としてそばにいる」と決めた。このへんは彼女の自由意思によって「内と外」のラインを変えることができたという描写だ。

 

 

デミウルゴスとエンディング

EMMAを通じて大衆に予告状を出したときに Life Will Change が流れたの、よかったな~~! 今作の新曲も無双感とペルソナ感の両方をかねそなえててどれも好きなんだけど、やっぱり Life Will Change は特別な高揚感がある。この曲をバックにしてダンジョンを走っていくの、本当に好きだったな。

あとこの曲、冒頭で I'm not a robot, AI って歌ってるんだよね。それを改めてこの場面で流すか~っていう。ソフィアはAIだけど、しかしそれでも Life Will Change なのだと高らかに歌っている。AIの神に対して。

 

デミウルゴスギリシャ語)とは創造主の意味で、グノーシス主義における「偽の神」としてのデミウルゴスの名前がヤルダバオトか。じゃあほぼ同一のものと言ってもいいくらいのラスボスだったんだな。実際、ほぼ同種の存在だったしな。

先日メタファーをクリアしたばかりのわたしからすると、若干ニンゲンみのあるデザインだなという気もしたけど、気のせいだったかもしれない。

わたしはイージーモードでやっていたので、時間はかかったけどそこまで苦戦はしなかった。FF14プレイヤーなので、戦闘中に「エクサフレアだと!?」「ダイヤウエポンか!?」とは叫んだ。

玉を壊すために全員操作することになるのはよかったな。事前に「控えメンバーまで含めて準備は完璧か?」と全員操作フェーズの示唆があったのはありがたかった。

これだけ全員魅力的なキャラで、操作性もそれぞれ違う感じで仕上げてあるのだから、やっぱりラスボス戦で全員使いたいよね!

ちなみにとどめを刺したのはマコちゃんの鉄拳制裁 SHOW TIME だった。マコちゃんかっこいいよマコちゃん。

「ネガイから解放されることこそ人の真のネガイ」と言うデミウルゴスに対して「お前は奪い支配しようとしているだけ」と看破する長谷川さんはかっこよかったな。近衛にも同じことが言えるし、近衛はそれが理解できたからこそ「改心」された。

でもEMMAは改心の対象じゃないんだなあ。なんかこう、EMMAの本質はプログラムなのだから、一時的に自分の一部をオフラインの場所に切り離して保存とかできそうだし、その気になればあらゆる場所に無限にコピペして自己増殖できそうなのだけど、そこまではしてこなかった。

ついでにいうと、ソフィアもプログラムなのにほかの端末でダウンロードはできないのか。鞘くんのスマホから取り出すことができるなら、怪盗団全員のスマホにダウンロードしたりできそうなものじゃないの。まあソフィアを「個別の人格」として扱うのであれば、あえてそんな扱いはしたくないという気持ちはわからなくもないんだけど。

でもソフィアも自己増殖してインターネットのあらゆる情報を閲覧すれば、もっと速く成長できただろうになー。増殖しないまでも、自らもっといろんな情報にアクセスしてもよかったよね。海中だろうが宇宙空間だろうが、ネットに存在するあらゆる画像や動画にアクセスできるだろうに。もちろん目の前に実在する「ライブ感」は特別だということもわかるのだけど、それは五感を所有する人間の場合の話で、スマホの中から眺めているだけならYouTubeの海中動画を眺めるのと変わらなくない? とも思ったり。

まあネットスラングに精通するソフィアとか、R18動画を閲覧しまくるソフィアとか、あんまり見たくないか。

自由なネット環境があって精神年齢が幼いと、スマホを買い与えられたばかりの中学生みたいなことになりそうだと思ったんだけど……いや、この想像はやめよう。ソフィアはいい子だ。それでいいじゃないか(怠惰な思考停止)。

 

大和田議員が「改心」されることなく、悪人のまま普通に逮捕されるのを見るのは結構新鮮だった。P5から通してみても初めてのことでは。今作で戦うことになる「敵」は必ずしも「悪人」ではなかったもんね。

怪盗団のみんなはP5での一年間を通して悩んだり傷ついたりしながら人間的に大きく成長しているから、今作では悩んだり傷ついたりしながら成長するのは「敵」の方だった。それから長谷川さんとソフィア。そういう意味でも「後日談」として良い構成だった。一年前の怪盗団なら、長谷川さんや茜ちゃんを今作のように救いあげることはできなかったかもしれない。氷堂鞠子や近衛も、一年前だったら違う結末になっていたかもしれない。

怪盗団の life が change したからこそ、彼らの life も change できたんだよなあ。

 

あとメタファープレイ済みの立場からひとつ付け加えると、毎晩の「夜営」シーンが何かしら挟まれるともっと「旅してる」感があってよかったかもしれない。メタファーの「旅してる」感って、あの夜営シーンの寄与がすごく大きかったと思うから。

でも現代日本の中でキャンピングカーでの旅って、しかも都市部での夜営って実際にはかなり難しいはずだから(水やトイレの確保だけでもフリーライダー問題とかいろいろある)ぼかすしかなかったのもわかる。

でももっと毎晩、お泊まりのワーキャー感を見たかったんだ! そんなのを毎晩入れてたらボリュームが1.5倍くらいに増大しそうだけども! 

食事シーンももっとたくさんあってもよかった! そしたらこのブログがさらにグルメブログ化していたかもしれない。博多のとんこつラーメン、大阪の粉もん各種と串カツは近いうちに食べにいこうと思う。

 

そんな感じで、総じてとても楽しい夏休みを経験させてもらった。こんな「その後」が幸せな作品は稀である。ありがとう……ありがとう……!

 

さて次のゲームは何にしようか。以前のセールで買ったまま積んであるやつにいよいよ手をつけるか……?

 

 

 

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